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第41回 ホテルの「ヘリテッジ」
──平林美都子(『イギリス・ヘリテッジ文化を歩く──歴史・伝承・世界遺産の旅』共著者)

 『イギリス・ヘリテッジ文化を歩く──歴史・伝承・世界遺産の旅』の執筆のため、近年何度もイギリスを訪れた。地方の宿選びには、宿泊料が高くないことはもちろんだが、鉄道駅に近いこととレストラン付きというのが必須条件となる。ロンドンで宿泊する場合は食事に困ることはないが、地方で泊まるとき、とくに夜遅く到着した場合には、イギリスの多くの鉄道駅が繁華街から離れているため夕食をとるのが難しくなる。ホテルから2~30分歩いても、パブしか見つからないということもある。食事ができるパブもあるが、そういうときに限ってなかなか見つからないものである。だからレストラン付きのホテルというのは、結構重要な条件である。このような最小限の条件で選んだ宿が、後になって「ヘリテッジ」性を持っていたことがわかると、とても得をした気分になるものだ。以下、産業遺産/温泉地のフィールド調査で利用した二つのホテルを紹介したい。

 ウェスト・ヨークシャー州ブラッドフォードのミッドランド・ホテル(Midland Hotel)は世界遺産のソルテア訪問の前日に宿泊した宿である。ホテルの建物は堂々として風格があり、エントランスは二つ。そのうち一つは板敷きになった通路となっており、乗り物が乗り入れられるほどの広さがあった。外側に線路跡があったことや、エントランスの廊下の一角に積み上げられた「Bram Stoker」(『ドラキュラ』の作者)の名前入りのスーツケースが気になったが、旅の初日で旅程の方に心を奪われていたため、それ以上深くは考えなかった。

◉ミッドランド・ホテル

 帰国後あらためて調べてみると、このホテルはミッドランド鉄道がブラッドフォードに開通した1890年に、駅舎に隣接して造られたものだった。線路跡や幅広のエントランス通路もホテルから直接往来できるためだったのだろう。駅舎はその後いくどか再建、移設が行なわれ、現在ではホテルから少し離れた場所にある。ミッドランド・ホテルは、ハムレットやシャイロックを演じる舞台俳優としてヴィクトリア朝後半、非常に人気があったヘンリー・アーヴィング卿(1838-1905)が「突然死」した場所だった。巡業中のアーヴィングは1905年10月13日の晩、テニスンの『ベケット』をシアター・ロイヤルで上演。そして宿泊先のミッドランド・ホテルに戻ってきた直後、心臓発作を起こし、そのまま亡くなったのである。アーヴィングの長年の秘書だったブラム・ストーカー(1847-1912)ももちろん同宿していた。スーツケースは彼が宿泊した証であった。

 

◉左/ミッドランド・ホテル外の線路跡 ◉右/ブラム・ストーカーのスーツケース

 次に紹介する宿はノース・ヨークシャー州ハロゲイトのホワイト・ハート・ホテル(White Hart Hotel)である。ハロゲイトに源泉が発見されたのは16世紀後半のことであるが、水治療がさかんになった19世紀に、この街は心身の不調を訴える富裕人たちの一大リゾート地となっていった。しかし私がハロゲイトに関心を持った理由はもう一つあった。アガサ・クリスティ(1890-1976)の失踪事件である。彼女のヒット作品『アクロイド殺し』が出版された1926年、クリスティは11日間、謎の失踪をした。その真相の詳細はよく分かっていないが、ハロゲイトの温泉地(スワン・ハイドロパシック・ホテル)で姿を見たという情報があったようだ。こうした情報を元に出来た映画が『アガサ 愛の失踪事件』(1979)であり、クリスティを演じるヴァネッサ・レッドグレーヴがハロゲイト駅に降り立つシーンやポンプ・ルームのシーンが鮮やかに描かれている。ハロゲイト訪問の理由はクリスティの足跡を辿ってみたいというオタク的な感情からだが、ホワイト・ハート・ホテルを選んだのは、駅に近い、レストラン付きという条件を満たしていたからである。

◉ホワイト・ハート・ホテル

 さてホワイト・ハート・ホテルは、ミッドランド・ホテルのような風格はなく、シンプルでイギリスの昔ながらの宿という印象だった。リチャード二世の紋章だと言われる「ホワイト・ハート(白い雄鹿)」はパブやイン(宿屋)のお気に入りの屋号として、イギリス各地でよく見かける。しかし調べてみると、ここはミッドランドよりも古い歴史を持つホテルだった。ホワイト・ハートの名前は約250年前のヨーク新聞(1765年8月20日)の中で「馬が行方不明……見つけた方には懸賞金を差し上げます」という記事に登場している。ホワイト・ハート・ホテルは鉱泉客のための宿屋として、当時から営業していたようだ。18世紀後半に土地の囲い込みが進んだとき、「ストレイ」と呼ばれるホテルの南側の土地が共有地として認められることになり、ホテルの眺望が確保された。19世紀に鉄道が開通すると、ホテルの利便性はさらに増していく。しかし戦後20年余りは、新たに創設された国民保健サービス(NHS)の会議施設として使用されることになった。20世紀の後半になり再びホテルとして営業が復活し、今日に至っているのである。

 イングランド・ウェールズには50万件ほどの指定建築物があると言う。これらの建築物は許可なく、解体・建て増し・改修ができない。指定建築物はグレードI、II*、IIの三種類に分類されており、最初の二つに指定される建物は全体の約2.5%、5.5%しかない。今回紹介したミッドランド・ホテルはグレードII、ホワイト・ハート・ホテルはグレードII*に指定され、建築物の希少価値としては後者の方がはるかに高い。名所・旧跡の宿泊代は高いことが多いため、積極的に泊まろうとはなかなか思わない。しかし、こうしたフィールド調査の折に、歴史的意義を持つ宿に偶然巡りあえるのは、何ともいえない喜びである。【写真筆者】

◉『イギリス・ヘリテッジ文化を歩く──歴史・伝承・世界遺産の旅