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第38回 『ワーキングガールのアメリカ』その後
──山口ヨシ子(『ワーキングガールのアメリカ──大衆恋愛小説の文化学』)

 一冊の本を出版した後は、つねに後悔がつきまとう。扱うべきであったのに、紙幅の都合上などで扱うことのできなかった作品や資料が多々あるゆえに、後悔の念にとらわれるのである。『ワーキングガールのアメリカ──大衆恋愛小説の文化学』を上梓して三か月になろうとしているが、校了した直後に、以前に注文していた一冊の貴重な本が届いたことから、今回も、その思いが強い。

 その貴重な本とは、20世紀初頭のニューヨークで家を離れて自活していた女性労働者の経済状況を詳細に記した、スー・エインスリー・クラークとイーディス・ワイアットによる『収入の範囲でやっていく──ニューヨーク・ワーキングガールの収入と支出』(1911)である。「序文」によれば、クラークが1年半にわたって、若い女性労働者に直接インタビューしてその生活実態をまとめたものを、ワイアットが同様の方法で資料を集めて補足し、編集したものである。この本は、低賃金で長時間労働を余儀なくされていた貧しい労働者を救うべく、「スウェットショップ」と呼ばれていた搾取工場の実態を精査し、最低賃金の設定や8時間労働の法制化に向けて尽力していた社会福祉家フローレンス・ケリーに捧げられている。厳しい状況に置かれていた労働者を比較的恵まれていた女性たちが積極的に支援活動をしていたことを示す一冊でもある。

◉『収入の範囲でやっていく』の内表紙。貧しい労働者を写真で記録したルイス・ハインの写真が付されている【筆者蔵】

 『収入の範囲でやっていく』の特徴は、20世紀転換期のアメリカで過酷な労働を強いられていた若い白人女性労働者、「ワーキングガール」の生活実態をその収支を中心に記したところにある。たとえば、第1章では、20歳の時に、週給4ドル50セントでデパートの店員として働き始めた女性の例がとりあげられ、クリスマス時には1日14時間の長時間労働を強いられても、正当に支払われない状況が記されている。簡単に解職され、失業を重ねるごとに給料が安い職に就かなければならない実態も記されていて、『ワーキングガールのアメリカ』で扱った、ローラ・ジーン・リビーによる大衆恋愛小説や、ドロシー・リチャードソンが自らの潜入体験のもとに書いた『長い一日 ニューヨーク・ワーキングガールの物語』(1905)、さらにはセオドア・ドライサーの『シスター・キャリー』(1900)などに登場するワーキングガールの状況と一致している。

 

◉ニューヨークのデパートに勤めるワーキングガールの恋愛を描いたリビーの作品『外套モデルのロッタ ニューヨーク百貨店の生活』(1900)【筆者蔵】

 『ワーキングガールのアメリカ』で扱いたいと思いつつ扱えなかった作家を一人あげるとすれば、O・ヘンリーである。この作家の特筆すべき今日的意義は、20世紀初頭のニューヨークの人間模様を描いた点にあると思われるが、ワーキングガールについても20編余りで描いていて、O・ヘンリーらしい「皮肉」や「暗示」に満ちた、「意外な結末」のワーキングガールの物語となっている。これらを『ワーキングガールのアメリカ』で扱った作品と比較すると、とくにこの作家の特徴が明らかになる。

 たとえば、「金にものを言わせる恋人(“A Lickpenny Lover”」(1904)では、上流階級の男性に求婚されたデパート勤めの若い娘が、「騙されまい」とする警戒心が強いばかりに求婚者の真の姿が見抜けない状況が描かれている。リビーの恋愛小説などでは、「ハンサムな百万長者の息子がワーキングガールと恋に落ち、妻にすることなど稀有であることをいつになったら気づくのか、しっかりと心すべきだ」という警告がくり返されつつも、最終的には、金持ちの男性と「幸せな結婚」をするワーキングガールが描かれているが、O・ヘンリーの「金にものを言わせる恋人」のヒロインは、そのような警告に耳を傾け過ぎたワーキングガールである。金持ちと結婚して仕事を辞め、世界旅行をすることは、ヒロインが望むことであるが、彼女に恋して、それらの提供を申し出た富裕な求婚者の言葉を彼女は信じることができない。「絵描きで、百万長者で、旅好きで、詩人で、車の所有者でもある」求婚者を「安っぽい」とみなす「用心深い」ワーキングガールの物語は、当時、じっさいのワーキングガールが愛読していた「幸せな結婚」をするリビーらの恋愛小説などと比較して読むと、その皮肉な展開がいっそう際立つ。

 O・ヘンリーのワーキングガールの物語では、この他にも都会へ出て働く地方出身の娘、父親の死によって働かざるを得ない状況になった娘、抑圧された自己の状況をファッションへの関心を強めることによって解消しようとする娘などが描かれている。これらを『ワーキングガールのアメリカ』で扱った同時代の作品と比較すると興味深い特徴が浮上する。O・ヘンリーのワーキングガールについては、先述した『収支の範囲でやっていく』などに記されている当時の労働状況と比較しつつ、稿を改めて論じたいと考えている。ワーキングガールの物語も、一冊ではとらえきれない深さと広がりを擁しているのである。

◉『ワーキングガールのアメリカ──大衆恋愛小説の文化学