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第30回 マーク・トウェイン〈新作〉?の魅力
──里内克巳(マーク・トウェイン『それはどっちだったか』訳者)

 得体のしれない小説タイトル。一般に私たちが〈マーク・トウェイン〉という名前で思い浮かべる、健全でおおらかなイメージとはおよそかけ離れた、鮮烈かつ不穏なカバーデザイン。私が翻訳を手がけた『それはどっちだったか』という本は、まずはそんな意外さで書店を回遊する人たちを立ち止まらせるだろう。そして、こう思わせるにちがいない――トウェインって、こんな小説書いてたっけ? ほんとにあのトウェインが書いた作品なの? と。実はこの長編小説は、トウェインが1910年にこの世を去って半世紀近く経ってから、ある遺稿集のなかの一篇として公表されたものの、その真価が見出されないまま長らく埋もれたようになっていた作品である。単独の作品として刊行されるのは海外でも先例がなく、この日本語版が初めてとなる。だからこれは、トウェインの〈新作小説〉と呼んでもいい作品なのだ。

 意表を突くのは書名や装幀だけではない。ページを開いて読み始めれば、殺人とか信用詐欺とか遺産の横取りとか奴隷制とか、なかなかに剣呑な題材がぎっしり詰まっている。だから、子ども向けのアニメ化作品をきっかけにして『トム・ソーヤーの冒険』を読んだことのある人や、最近のテレビドラマに刺激を受けて村岡花子訳『王子と乞食』を読んで気に入った人が、同じ作家の手になるこの小説を読んだなら、与える印象があまりに違うことにさぞ驚かれることだろう。

 とはいえ、書評系SNSの「読書メーター」で現在よく読まれているトウェイン作品を調べてみると、比較的初期の作品である『王子と乞食』より、『不思議な少年』や『人間とは何か』といった晩年の作品の登録数がとても多い。ということは、相当に虚無的な人間観が開陳される晩年期のトウェインが、日本では結構人気が高いということになる。そうした作品を通じてトウェインを知って、面白く読めた人なら、やはり晩年に書かれた『それはどっちだったか』で披露されるダークな世界にも、すっと馴染んでいかれることだろう(付け加えると、人生で苦労を重ねた人、特にお金がらみの苦労をしたことのある人も、作品世界にどっぷり浸かれる可能性が高い)。実際この作品は、対話体の『人間とは何か』の小説版と言ってもよいものだし、ストーリーなどあって無きがごとしの『不思議な少年』に比べれば、ひねくれているけれどもはるかに堅牢なプロットを持った物語が構築されているのだから。 

 そして、アメリカ南部の田舎町インディアンタウンを舞台とする『それはどっちだったか』は、代表作『ハックルベリー・フィンの冒険』をはじめとする、ミシシッピ川流域を舞台にしたトウェイン最盛期の作品群とも繋がっている。要するに、盛期と晩年期とを橋渡しするような位置にある作品なのだ。『ハックルベリー・フィンの冒険』を読んで、白人少年ハックと黒人奴隷ジムとの〈友情〉に感動した人なら、『それはどっちだったか』に描かれた異人種どうしの関係の激しさを目の当たりにして、大いにショックを受けるにちがいない。だが、かけ離れたように見える両作品の人種間関係の描き方には、共通する部分もある。そのことは、巻末につけた長い(おせっかいな?)解説でも触れているので、ご興味があればぜひご一読を。

 巻末の解説では、まだ一般にほとんど知られていない『それはどっちだったか』と、トウェインの他のもっと知名度のある作品群との関連について詳しく説明した。だが、マーク・トウェインの他の作品を読んでいることが、『それはどっちだったか』を楽しむ前提条件というわけではない。トウェインという作者名を知っている必要すら別にない。むしろ何の先入観もなく、現役の作家が昔のアメリカを舞台にして書いた風変わりな小説、といったノリで読んでいただいた方が楽しめるかもしれない。作者が世間におもねる態度をかなぐり捨てて書いている分、生前に出版された小説のどれと比べても異なる雰囲気、そして凄みを持っている。言ってみれば、これはマーク・トウェイン(筆名)の作品というより、サミュエル・クレメンズ(本名)という別人の作品なのだ。

 本の帯にあるように、この作品は「グロテスクで残酷」な、「悪夢」のような物語である。責め立てる、苦悶する、身の毛がよだつ、喘ぐ、のたうちまわる…そんな尋常ならざる言葉が、トウェイン作品としては驚くべき頻度で本作では使われている。訳語を考えているうちに気分が悪くなって、ラジオ体操のCDをかけてじたばたと体を動かしたり、長い散歩に出かけなければならなくなったりしたこともある。だがそんな場面であっても、ほとんど必ずといっていいほど、弾けるような笑いの要素を伴っているのが救いである。たとえば、心労のあまり倒れてしまった主人公を診察するために、怪しげなお医者さんがやって来るあたり(第12章)を読み返すたびに、私はお腹を抱えてしまうのだ。恐怖と笑いが混然一体となったお話をつくる――言うは易く行なうは難きこの課題を、トウェインは軽々とクリアしてみせる。そこには、語り口の巧みさとともに、一度読んだら忘れることのできない個性的な登場人物たちもひと役買っている。登場人物たちのアクの強さという点で、『それはどっちだったか』は他のトウェイン作品の追随を許さない。

 長年トウェインや同じ時代のアメリカ文学とつきあってきた私にとって、このひと筋縄ではいかない問題作を翻訳することは大きな挑戦であると同時に、何ものにも代えがたい喜びだった。一文一文を訳していくと、作品執筆時には60歳代後半になっていた作家の筆運びに衰えがまったくないことがよく分かり、驚きとともに心を揺さぶられた。トウェインの書きぶりは緩急自在である。ある場面ではテンポよく人物間のやり取りが活写されるかと思うと、別の場面では相当にねばり強く息の長い文章で、人々が寄り集う場所の様子がじっくりと描き出される、といった具合に。登場人物の語る台詞や、人物間のやり取りが、地の文のなかに溶け込むようなやり方で示されることもある。巧みなだけにかえって見通しがききにくくなるそうした文章であっても、翻訳ではできる限り明快に読めるよう工夫をした。また、黒人たちが交わす訛りの強いおしゃべりも、原文ではなかなか読みづらいのだが、これも明快で自然な話し言葉にするように心がけた。英語ネイティブの読み手が原著を読んだ場合より、日本人がこの翻訳書を読む方が、はるかに物語の内容をとらえやすくなっているはずだ。

 多くの読みどころを持った異色作『それはどっちだったか』を通して、マーク・トウェインという文学者の新たな魅力を見つける人が増えることを願っている。

◉『それはどっちだったか