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第12回 ダイムノヴェルの魅力
──山口ヨシ子(『ダイムノヴェルのアメリカ』)

 『ダイムノヴェルのアメリカ 大衆小説の文化史』を上梓して一か月が過ぎようとしている。初校から校了までがきわめて短期間であったこともあり、注の加筆や校正に費やした過激な日々の余韻をまだ引きずっている。今、改めて「あとがき」を読み直してみると「手の届かなかった部分」について延々と述べていることがやはり気になる。この「あとがき」を書いていたときも、論じ得なかったことについて書き過ぎではないかと思ってはいたが、それでもそのままにしたのには理由がある。ダイムノヴェルをめぐる研究テーマは一冊の本では語りきれないほど多く、無尽蔵だという思いである。
出版社がさまざまな工夫を凝らして出版し、多くの読者に読まれたダイムノヴェルは、それだけ追求すべきテーマが多いということであり、ダイムノヴェルの魅力の一つは、そのような多様なテーマを内包しているところにあるように思う。

 つい最近も、興味深い新情報を得ることができた。井上晴樹著『日本ロボット戦争記 1939~1945』(NTT出版 2007)によれば、1941年(昭和16年)に、『ダイムノヴェルのアメリカ』第五章で扱ったようなSFダイムノヴェルが、日本の児童雑誌で紹介されていたということである。早速、その児童雑誌『科學と國防 譚海〔たんかい〕』の1941年11月号の記事を取り寄せてみた【(財)三康文化研究所附属三康図書館所蔵】。そこでは、ダイムノヴェルの日本版ともいうべき「円本」の企画にも参加していた、明治文化史研究家の木村毅〔きむら・き〕(1894-1979)が、「空想から生まれた新兵器」と題してフランク・トージィ社のSFダイムノヴェルを紹介している。ダイムノヴェルを「十銭小説」と呼び、ソ連・フィンランド冬戦争(1939-1940)で使用された「除雪戦車」のような、当時の「驚異すべき兵器の大部分」は、かつてアメリカの少年たちが「読みふけった冒険小説の中」に「たいていは書かれていた」ことを明らかにしている。

 この児童雑誌は、1920年(大正9年)に『少年少女 譚海』として創刊された創作読物中心の月刊誌で、中川裕美「博文館『少年少女譚海』の編集方針とその変遷」(日本出版学会 2010)によれば、少年少女の両方を読者対象としたり、雑誌の価格を安価におさえたり(1部15銭)、独自企画の懸賞ページを設けるなどして他誌との差異化を図っていた。1930年代には、山本周五郎(1903-67)や横溝正史(1902-81)らによる多くの新作読物が掲載されて人気を博していたが、やがて1940年(昭和15年)には、誌名を『科學と國防 譚海』に改名して、軍事色を濃くしていったという。じっさい、1943年(昭和18年)新年号では、「米・英を世界の地図より抹殺せよ」という記事が巻頭を飾っている。


『國防と科學 譚海』1943年(昭和18年)新年号の表紙【筆者蔵】

 『ダイムノヴェルのアメリカ』でも論じたことではあるが、SFダイムノヴェルでは、「天才発明家」による、未来に達成され得るような「すばらしい発明品」は、白人種が冒険という名のもとにアメリカ西部や世界各地で侵略行為を行うための有効な武器として機能している。白人種による合衆国の拡大を「明白なる使命」として国家の膨張を推進していた時代を背景に、「アメリカのジュール・ヴェルヌ」ともいうべきルイ・P・セナレンズ(1863-1939)は、約300編もの帝国主義的なSFダイムノヴェルを書いたわけだが、彼が描いた多様な新兵器が、その約半世紀後の、太平洋戦争の開戦を間近に控えた日本の児童雑誌で紹介されていたことは興味深い。明治時代の作家がダイムノヴェルを翻案していたことは研究されつつあり、上述の『日本ロボット戦争記』では、SFダイムノヴェルやその発想の原点になったといえるザドック・P・デディリック(1831-1911)製作のスティームマン(蒸気機関人間)などが日本で紹介された経過が詳述されているが、ダイムノヴェルがいかに日本で受容されてきたかについてはまだ研究すべき余地を残している。ダイムノヴェルをめぐる研究テーマはやはりつきないのである。

 ◉『ダイムノヴェルのアメリカ 大衆小説の文化史