事件の全貌をこの1冊に凝縮!連合赤軍事件を読む年表

オフサイド・ブックス 22
連合赤軍事件を読む年表 事件の全貌をこの1冊に凝縮!

椎野 礼仁 編
A5判 / 158ページ / 並製
定価:1,400円 + 税
ISBN978-4-88202-621-1(4-88202-621-X) C0336
奥付の初版発行年月:2002年08月 / 書店発売日:2002年08月05日
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内容紹介

●前口上……年表にしたら、見えてきたこと
あさま山荘の銃撃戦と、その後に続いた同志大量殺害のニュースが世間を震撼させてから、早くも30年たつ。30年と言えば、35、6歳くらいまでの人は、連合赤軍事件のリアルタイムの記憶はないということになる。にもかかわらず、この事件はいまなお少なくない人々の耳目を集めている。
なぜか。それはこの事件が21世紀の今日でも「重い」からだろう。
連合赤軍事件、とりわけ同志殺害の事実は、日本の左翼運動に致命的といっていい打撃を与えた。事件以降、左翼は大衆的な求心力を失い、「新左翼」はいまや死語となりつつある(もっとも、その原因は「連赤」だけにあるわけではないが)。したがって「連赤」は、左翼運動にシンパシーをもつ(もっていた)者にとって、触れたくない「重い」過去だろう。
一方、「連赤」を知らない世代にとっては、自分と同じくらいの年齢の者が銃を握って闘ったことは、衝撃的であるに違いない。そして、それが30年前だとはいえ、この日本で実際に起こったということは「重たい」疑問を生む——なぜ、そのような事態に至ったのか?
この「なぜ」は30年の間、繰り返し問われ続けられたものだが、決して陳腐化しない。これからも「組織と個人」「社会の変革とは何か」といった問題を考えていく際、必ずつきまとう問いなのだ。
「何を大袈裟な」と思われるむきは、第3章の「総括」の場面を読んでほしい。何も感じない人はこの本を手にとっていないはず。
さて、事件の全体像をつかむのなら、当事者による証言を読むことをおすすめする。たとえば永田洋子『十六の墓標』(上・下)。事件の淡々とした記述だけでも圧巻だ。また『続十六の墓標』では、一人の人間が発展していく様を共感と微笑をもって読みとることができる。また植垣康博『兵士たちの連合赤軍』は、ハードボイルドに描かれた青春小説といっても、お叱りは受けないだろう。
ただ、それらは膨大な分量があるのと、人間関係、事実関係が入り組んでいて、読んでいると思わずメモをとり整理したくなる。ならばという発想から生まれたのが本書だ。
この読む年表は、関係者の著作、当時の記録などをもとに、時系列に沿って「事実」を再構成している。矛盾は矛盾のまま、混沌は混沌のままにしてある。それが現実の肌触りだと考えたからだ。
年表によって改めて(初めて)気がつくことも多い。赤軍派と革命左派(当時は「京浜安保共闘」という名で報道されていた)は当初、互いに別個の山岳ベースを持っていて、その後合流していること。また、ベースでの連合赤軍としての活動は、指導部(中央委員)は会議、被指導部はまき作りをえんえんとくり返していることなどは、その典型例だろう。
また、なにより、ひとつひとつ独立していると思える事象が、互いに結果となったり原因に再生したりして、結びついていることが年表からみえてくる。
日本赤軍のリーダー重信房子は言う。自分たちの「リッダ闘争」(イスラエル、テルアビブ空港で岡本公三ら3人が銃を乱射)は、連合赤軍の同志殺害について内省した結果の闘争なのだと。〝自爆テロ〟の始まりはこの闘争だったという説がある。とするなら、〝自爆テロ〟の遠因には、連合赤軍事件があるのかもしれない。それくらい、連合赤軍事件は「重い」のである。

前書きなど

植垣康博氏ロング・インタビュー
連合赤軍・いまだから言えること
——赤軍派内〝独立愚連隊〟の敗北と総括が暴力に至るメカニズム(一部抜粋)
■権力に負けたんじゃない
僕がテレビなどに出たりして、オープンにやっていることが気に食わない人もいるようですね。たとえば佐々淳行氏は、『正論』(02年6月号)の石原慎太郎都知事との対談の中で、僕のことを「元懲役囚」と呼び、僕がテレビに出ていることを「もってのほか」とみなしています。ま、さっきのようなメッセージを込めているので、当然といえば当然ですが(笑)。佐々氏は、「あさま山荘」でだいぶ稼いでいるようですが、僕と一緒にテレビに出ることに対して、僕を利することになるとか何とか理屈をつけて、自分から身を引いている。ずいぶんと立派な「侍」です。僕との対談ならば応じるというようなことを言っていますが、テレビ局がまじめに企画したら、はたして応じるかどうか大いに疑問ですね。
佐々氏たちは、「あさま山荘事件」を警察側から描いた映画にかこつけて、警察の勝利を喧伝し、その当時を戦後警察の最高の時代と称賛したりしています。でも、「ホントにあなたたちが勝ったの?」と聞いてみたいですね。たしかに連合赤軍をはじめ当時の闘いは敗北し、国家権力を打倒することに失敗しましたが、では、僕らの闘いが潰れたことによって、あなたたちの思うような社会になったのかということです。その後の警察の腐敗や犯罪をはじめとした国家権力の威信の崩壊、国会の無能化、経済の衰退、思想や文化の解体などといった状況を考えると、彼らが勝利した、資本主義が社会主義に勝ったとはとうてい言えないと思います。しかも、連合赤軍自身の敗北も、自らの崩壊によるものだった。
だから、「僕らは権力に負けたんじゃない、党派に負けたんだ」という言い方をするんです。僕らの運動は、全共闘運動(70年前後の安保闘争や反戦闘争における学生運動の闘争形態)を含めて、党派というものを乗り越えられなかったという意味で負けたんです。権力が勝利したのではない。にもかかわらず、なぜ連合赤軍はあのような結末に至ったのか、党派に負けたとはどういうことなのか、そのことをこれからお話ししようと思います。

目次

事件の全貌をこの1冊に凝縮した、読む年表。新左翼の誕生から「連赤」裁判まで、年表にし てはじめて見えてきた、事件の客観的な流れとそのプロセス、社会情況との密接な連関。元連 合赤軍兵士・植垣康博による詳細な「解説」を付す。

第1章 連合赤軍前史——1945-1969
 新左翼の誕生から69年「4・28」まで
第2章 革命左派と赤軍派の出現——1964-1971
 両派の「武装闘争」
第3章 連合赤軍の成立と「総括」——1971.11.30-1972.2.18
 死に至る総括の過程と森・永田らの逮捕
第4章 あさま山荘の10日間——1972.2.19-2.28
 銃撃戦の多角的な検証
第5章 その後の「連合赤軍」——1972.2.28-
 裁判とそれぞれの総括
第6章 解説に代えて——植垣康博ロング・インタビュー
 当事者による連合赤軍「いまだから語れること」

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