奴隷解放後の黒人知識人と「人種」アフリカ系アメリカ人という困難

アフリカ系アメリカ人という困難 奴隷解放後の黒人知識人と「人種」

大森 一輝 著
四六判 / 230ページ / 上製
定価:2,500円 + 税
ISBN978-4-7791-1991-0 C0022
奥付の初版発行年月:2014年03月 / 書店発売日:2014年03月13日
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内容紹介

アメリカ黒人にとって人種は圧倒的な「枷」であり、断ち切れない「絆」でもあった。「黒人であること」の屈辱と誇り、苦悩と喜び、絶望と祈りが、「アメリカ黒人」を新たな民族に鍛え上げた。その諸相を八人の知識人の生き方で読み解く。

版元から一言

差別が禁止された社会における差別という背理

 一部の社会学者や歴史家は、「カラー・ブラインドな人種主義」というような概念を用いて、人種を無視することの危険性を指摘しているが、こうした考え方が、長い歴史を持っていること、しかも、白人や「保守的」な黒人だけでなく、革新的な人々の心をも捉えてきたこと、つまり、最近になって起こった単なる反動ではないことを十分に踏まえていないように思われる。
 人種を見ないことにすれば問題は解決するのだという善意の議論は、人種差別反対論と同じくらい古くからあった。むしろ、その要諦だったと言ったほうがいいかもしれない。本書は、そのようなカラー・ブラインド論の淵源を探り、一九世紀半ば以降、人種差別が「なくなった」はずの北部、特に「自由発祥の地」であることを誇り、その理念を突き詰めたマサチューセッツ州のボストンという都市(=一五〇年以上に渡る「ポスト・レイシャル」社会の実例)を主な舞台に、そこで人種の意味(そのマイナスの影響)を極小化しようとした黒人の悲劇を語る試みである。

 白人の奴隷制廃止論者の多くは、南北戦争以前から、来るべき奴隷制廃止後の社会を展望しつつ、アメリカに住むすべての者は、人種や民族にかかわらず、アメリカ国民になれるし、なるべきだと考えた。アイルランド系であろうと黒人であろうと、教育による向上は可能であり、そうすることで「彼らの幸福を増進し、彼らを社会のより良きメンバーに」すべきだ、というリディア・マリア・チャイルドの発言は、ボストンを拠点に活動していたウィリアム・ロイド・ギャリソンを中心とするグループの活動家たちの共通認識を示している。南北戦争の経過を追い風と感じると、このグループの中心人物の一人であったウェンデル・フィリップスは、早くも一八六四年の暮れに、「カラー・ブラインド」になることが「政府の義務」であると述べ、戦争の終結が近づいた翌六五年の二月末には、「この国の安全は、カラー・ブラインドになることに懸かっている。…… 人種に対する偏見を踏み潰し …… 平等と正義という土台の上に国家を建設しよう」と呼びかけるようになる。
 こうした情熱は、戦後、共和党急進派と呼ばれた人々に受け継がれる。その牙城であったマサチューセッツでは、南北戦争後、かなり徹底したカラー・ブラインド政策が採られた。同州では戦前から黒人にはほとんどの市民的諸権利が認められていたが、一八六九年には先住民も州の「市民」とし、さらに翌年、チャールズ・サムナーらの同州選出の共和党連邦議会議員は、(結局不首尾に終わるものの)アメリカ人になれるのは「白人のみ」という条項を連邦帰化法から削除して「市民」の範囲をアジア系にまで広げようとした。そのうえで、そうした権利の行使を保障するために、公民権を保護する先駆的な州法を制定し、公共施設等での人種差別を厳罰をもって禁止したのである。
 もちろん、実際には、黒人や先住民や中国人が人種を意識しないで生活できたわけではない。しかし、少なくとも形式上は、マサチューセッツは、どの人種の人間に対しても平等な個人としての権利を保障しようとした。確かに、その背後には、社会統制という意図もあった。南北戦争以前から急増していたアイルランド系移民のアメリカ社会への適応という問題に、特に教育行政当局は、頭を痛めていたからである。公立学校をはじめとする各種の施設は、学校にも来ず好き勝手な行動をする子どもたち(そして、そうさせる親)を、アメリカという鋳型に押し込むための装置として「開放」された。異人種の脅威を感じ始めていた白人たちは、すべての人種を同じように扱うという原則を明確にすることで、当時は別の「人種(race)」だと考えられていたアイルランド系を含むさまざまな集団を解体して個々人を「アメリカ」に取り込み、彼らにアメリカ人と同じ規範に従って行動することを求めようとしたのである。
 このように同化強制という側面も強かったものの、「平等化」の根底にあった「人種」認識は注目に値する。戦後のマサチューセッツでは、「人種(race)」とは、白人と、黒人・先住民・アイルランド系といった諸集団とを画然と分かつ生物学的な絶対条件ではなく、たとえそれが「遅れ」と認識されていたにしても、あくまで教育によって「矯正」可能な歴史的・文化的条件に過ぎなかった。だからこそ、黒人や先住民(あるいは、場合によっては中国人)でも、個人の努力によっては一定の同化が可能とされたのである。
 共和党急進派の中でも、とりわけ完全な「カラー・ブラインド主義」を唱えたのは、サムナーであった。彼は、連邦上院で、自分が提案した公民権法案の成立を求めて演説した際、「『白人』という言葉が現在果たしている大きな役割を認める根拠などほとんどなく、…… その言葉は不当に使われて」おり、「独立宣言にも憲法にも、肌の色を示す言葉は、白であれ黄色であれ赤であれ黒であれ、存在」せず、人種による「差別を認める根拠」はないのだから、「平等がこの国の最高法規である」と述べ、続けて、特に黒人について、こう言う。

奴隷であることから解放され、かつての被害者は人となったばかりでなく、市民となったのである ……。黒人は人としてのすべての権利を与えられ、平等という原則の下で、我々の社会の一員になった。もはや黒人はアフリカ人ではなくアメリカ人である。奴隷ではなく共和国の一部である。その平等な法によって守られ、愛国的な忠誠心をもってそれに応える。この政体に組み込まれることによって、黒人はパートナーとなり、…… それ故、黒人を傷つけることはすべての人を傷つけることになる。黒人への侮辱はアメリカ人への侮辱である。黒人への無礼は共和国それ自体への無礼である。…… 我々の権利は黒人の権利でもあり、我々の平等は黒人の平等である。我々の特権と免除は全面的に黒人の権利でもある。アメリカ市民としての権利を享受するために、遠くから、人種や容貌の異なる人々が我々の土地にやって来て、生まれの違いをすべて忘れ、さまざまな川が海に注ぐように、出自や肌の色の違いをも忘れ、一つの水の中で、…… 同じ法に従うようになった。このように市民となることで、アフリカ人は今や吸収され〔アメリカ人となっ〕た。

 こうした考え方は、反移民感情が急激に高まった一九世紀末になっても、基本的には、維持されていた。たとえば、マサチューセッツ州から(サムナーの三代後の)連邦上院議員に選出されたヘンリー・カボット・ロッジのような最も強硬な移民制限論者でさえ、「異人種は同化不能だ」という言い方はしなかった。ボストンでは一八九四年に「移民制限同盟」が結成され、ロッジはそのスポークスマンとして連邦議会で独自の移民制限を執拗に提案するが、その方法は、中国人の入国を禁止する一八八二年の排華移民法のように特定民族を完全排斥するのではなく、識字テストによって東南欧からの移民の中でも「最も望ましからぬ有害な部分」だけを排除するというものであった。確かに、この案は、実態として、特定民族(ロッジは「イタリア人、ロシア人、ポーランド人、ハンガリー人、ギリシア人、アジア人」を挙げている)をかなりの割合で制限することを想定している点で差別的であり、選別の基準として識字能力というそれまでの教育の有無を用い、十分にチャンスが与えられてこなかった人々をふるい落とすという点で、「機会の国」というアメリカの理念にも悖る。しかし、たとえレトリックだけの問題にせよ、もはやアメリカは無制限に移民を吸収できず、このままでは「我々が過去に同化したことも交際したことさえ決してない人種の大量導入によって、わが人種、わが市民の質を変えてしまうという危険」が迫っていると考えていたロッジが、中国人排斥という前例があったにもかかわらず、篩い分けの根拠として「人種」を明示的には使わなかった(使えなかった)ことの意味は大きい。この時点ではまだ辛うじて、少なくとも建前としては、人種が人間の可能性を規定するのではなく、「アメリカ」にふさわしいか否かは個人の能力と努力によって決まるべきなのであった。
 黒人の側も、アメリカがようやくカラー・ブラインドになりつつあることを歓迎する。戦前からメイン州などで奴隷制廃止運動に関わっていた黒人女性作家のフランシス・ハーパーは、戦後の南部再建期の社会変革を次のように評した。「現在進行中のこの壮大で輝かしい革命は、アメリカ共和国の隅々にまで渡って、この国がカラー・ブラインドとなり、肌の色や髪の毛の縮れぐあいによって人を判断することがなくなって初めて、完全に成功したことになるのです。そうなれば、特権階級も、彼らに踏みにじられ侮辱される恵まれない階級もなくなり、残るのは、偉大な名誉ある国家だけです。そこでは、人間として可能な限り高貴な男らしさや女らしさを追及することができるのです」。事実、北部では、人種へのこだわりは消滅しつつあるように見えた。ロード・アイランド州の公立学校の人種統合に尽力した黒人実業家ジョージ・ダウニングは、「今日〔一八七七年一一月〕では、学校でも、その行き帰りの道でも、生徒たちは、あらゆる肌の色や人種の者がいるにもかかわらず、そうした違いにまったく無関心です。このような教育を受けた子どもたちが大人になって、活発に社会を担うようになった時には、彼らは、他の点ではどうあれ、能力が問われるような場面では、いわば『カラー・ブラインド』になると考えて間違いないでしょう」と誇らしげに語る。カラー・ブラインド主義は、アメリカの基本原理とみなされるようになったのである。
 しかしながら、ちょうどこの子たちが成人する頃から、その雲行きが怪しくなる。南部があらためて人種差別体制を作り直しただけではない。北部も、前述のように、東南欧からの移民が大量に流入してくるという事態が続くのを目の当たりにして、ついに黒人と移民を差別化するようになるのである。特に、最前線で移民と対応していたセツルメント活動家たちは、一方では異民族との共存を説きながら、他方では同化のための踏み台として黒人を差し出し、「白人化」による「アメリカ化」を移民に促すようになった。そこで浮上してきたのが、「カラー・ライン(「人種(color)」の境界線)」であった。人種平等という理念の中心地であったボストンにおいてすら、ソーシャル・ワーカーたちは、黒人を貶め、移民を煽てるようになる。「不道徳に耽る生まれつきの傾向」を持っている黒人とは違って、「白人」である移民はアメリカ化が可能である、と彼らは言う。さらに、「立派なアメリカ人は、各民族の特性を尊重し保存しようと考え、それぞれの民族が他のすべての民族の中の良きものを互いに求め合うよう促して」いるので、「移民文化〔が〕アメリカ的な精神によって変化させ」られるだけでなく、「アメリカ精神も移民文化の中の素晴らしいものによって良い影響を受ける」ようになるだろう。事実、移民たちは「すでにこの町の経済や社会に多様で新鮮な刺激を与えている」のだからと、ある種の多文化主義的な相互理解を呼びかける。返す刀で、黒人については、「多くの者にとっては、消すことが不可能と言ってもいいような人種偏見という壁があるために、希望の持てる見込みはほとんど」なく、「肌の色が克服し難い障害となっている」と、アメリカ社会への参加を否定するかのような言い方で、これを切り捨てる。人種にかかわりなく誰でも能力と努力によって立派なアメリカ人になれるという南北戦争後のマサチューセッツにおける人種認識は、二〇世紀に入ると大きな変質を遂げ、さまざまな「人種(race)」の中で黒人だけが「ある種の動物的な性向を持った」同化不能「人種(color)」として区別されるようになる。いつの間にか、「カラー・ブラインド」であることは不可能になっていた。
 ハーヴァード大学の学長チャールズ・エリオットが、一九〇二年暮れにボストンの移民地区に赴き、そこで「新しいアメリカ人」たちに向かって、高等教育の活用による上昇を説いたとき、同じような境遇の黒人たちには学長も他の教授たちも決して大学に行くことを勧めず「実業教育が最も相応しい」と口を揃えて言うのは、「黒人はアメリカ文明を担うべき存在ではなく、その大役は白人だけの特権であると」彼らが考えているからだ、と(第五章で取り上げる)黒人活動家のウィリアム・モンロー・トロッターが批判したのは、事態を正確に言い当てていた。
 この変化は、再建期の人種平等政策の「挫折」であると一般には説明される。一八七〇年代に入ると共和党は保守化し、南部の黒人、ましてや北部の黒人のことなど省みなくなった、あるいは、六〇年代後半に活躍したサムナーのような共和党急進派のほうが例外であり、カラー・ブラインド主義とそれに基づく黒人の権利の実体的擁護の試みは、一時の夢に過ぎなかった、と。確かに「カラー」を無視しようという熱意は減退した。しかし、その「変質」にばかり目を奪われていると、この間「変わらなかった」もの――人種等の基準を調整し、対象とする集団を変えながらも、一貫してアメリカ化を推進する姿勢――を見逃すことになる。そもそも、カラー・ブラインド主義は、それ自体が目的というよりも、むしろ同化強制のための手段であった。このことが最も端的に現れているのが、マサチューセッツの先住民の市民化の事例である。州は、土地の共同所有など、歴史的経緯から先住民が保持していた民族としての固有の権利の認知を求める一部の先住民からの要求を聞き捨て、彼ら全員を「カラーにかかわらず」市民にして選挙権を与え、共同保有地を分割し、他の市民と同様に個人として不動産を取得・所有・譲渡・相続できるようにしたのである。ここでの基本的な考え方は、人種にかかわらず平等だから異質なまま自由で独自に振舞ってよい、ではなく、人種にかかわらず平等なので一律に同質な「市民」とする(つまり、先住民として生きるのをやめ、アメリカ人を目指せ、ということ)である。サムナーの「もはや黒人はアフリカ人ではなくアメリカ人である」という主張も、同じように読むべきであろう(サムナーの連邦上院の議席を引き継いだのが、この原則を全国の先住民に適用するドーズ法の提案者ヘンリー・ドーズだったのは、偶然ではない)。
 カラー・ブラインド主義を、「目的」ではなく「手段」だと考えると、「目的」である同化の対象の変化に応じて、その強調のされ加減が変化したことが理解しやすくなる。それを国民資格の基準とされた他の要素との関係で模式的に示すと左の図1のようになる。奴隷制時代には、一八五七年のドレッド・スコット事件判決において連邦最高裁主席判事ロジャー・トーニーが断言したように、肌の色の違う黒人はアメリカ市民とはなり得なかった。また、同時に、アイルランド系やカトリックを排斥したように、異「人種(race)」を嫌い、文化や宗教の面での同質化圧力も強かったと考えられる(パターン1)。それが、再建期になり、北部の自由黒人/南部の解放民を市民化することになると、人種の重みが逆転し、肌の色にかかわらず誰でもがアメリカ人になれる、いや、「正しい」アメリカ人にならなければならない、となる(パターン2)。しかし、北部では黒人の向上を見限り、南部では黒人を新たな被差別「身分」に固定するようになると、肌の色にかかわらず黒人を対等に扱うことより、異質な移民を同化することのほうが圧倒的に重要な課題となり、ホスト社会の側のアメリカ化戦略がカラー・ラインを境に二つに分化する。「人種(color)」を超えられない生物学的与件であるとし、異「人種(color)」、特に黒人を、同化不能な集団として劣位化することで、「人種(race)」の異なる多様な移民たちは、いかに文化や宗教が違っていても「白人」であり、立派なアメリカ人になれる、とされた(パターン3)。黒人解放運動の巨人W・E・B・デュボイスが、カラー・ラインこそ二〇世紀アメリカの最重要問題であると喝破した所以である。
 この新しい人種イデオロギーは、「白人」内部での「人種(race)」の違いではなく、全体としての「白人」の優越を説いた。黒人は、「白人性」を浮かび上がらせるためのネガとして「他者化」され、そういうものとして「アメリカ」に組み込まれるようになった。
 (特に高等教育を受けた)黒人たちは、このような人種基準の変化に翻弄される。各章の内容を先取りして言えば、カラー・ブラインド主義をアメリカ本来の理念だと信じた者は、その衰退を嘆き、人種を超越することを主張するようになり(第一章)、また、自らがいかに「愛国者」であるかを訴え(第二章)、アメリカでは市民として扱われないと絶望した者は「アメリカ人」になるために国を捨て(第三章)、しかし、いずれにしてもアメリカを見限ることはできず、「アメリカ(黒)人」としての功績を最大限にアピールするか(第四章)、「黒人」であることをやめて「無色」の人間になろうとし(第五章)、果ては貧しい黒人を見捨てることになる(第六章)のである。
 この問題を考えるに際して、本書では、従来の二項対立――北部で奴隷制や過酷な人種差別を知らずに生まれ育ち、大学教育を受け、さらにドイツに留学し、ハーヴァードから博士号を取得したデュボイスのような「ラディカル」な黒人活動家が、「個人としての権利」の回復を要求したのに対して、奴隷として生まれ、刻苦勉励の末、南部で職業訓練・教員養成学校を運営するようになったブッカー・T・ワシントンのような「保守的」な黒人指導者が、平等を要求するのは後回しにし(あるいは、そもそも白人との完全な平等を求めず)、二級市民に甘んじながら「集団としての生活」の保障に努めた、という単純な捉え方――を見直す。そうした見方では、黒人思想史家のウィルソン・J・モーゼスが描いたような、それぞれの多面性(デュボイスは民主主義者であるが権威主義的でもあり、ワシントンは実利を目指しつつ理想家肌でもあった)を見失ってしまうだけでなく、さまざまな立場の黒人思想家の共通点、特に、「ラディカル」に人種平等を求めた人々が結局「保守的」な自己責任論の罠に陥る事情をうまく説明できないからである。極めて早い時点で大学・大学院教育を受けた黒人知識人(第一章のラフィン、グリムケはハーヴァード・ロースクール卒、第二章のウルフも同じロースクールで学んだ弁護士、第三章のクランメルはケンブリッジ大学卒、第四章のワークはシカゴ大学修士、第五章のトロッターはハーヴァード大学修士、しかも、ここまでの六人は一九世紀中に教育を受けており、第六章のスティールとラウリーは博士号を持つ現役の大学教授)が、その人種と能力故に苦悩した姿をできるだけ具体的に描き出し、レッテルを貼って分類し満足するのでも、むやみに英雄視するのでもなく、彼らが入り込んでしまった袋小路の実態と、そこから抜け出す道筋を考えることが、本書の目的である。
 アメリカ黒人にとって、人種は圧倒的な「枷」であったが、同時に、単純に断ち切り振りほどくことのできない「絆」でもあった。押しつけられたものではあったが、「黒人」というカテゴリーは、異郷で生きることを余儀なくされたアフリカ諸民族に、共通の経験をもたらし、共通の心性を育んだ。「黒人であること」の屈辱と誇り、苦悩と喜び、絶望と祈りこそが、「アメリカ黒人」を新たな民族に鍛え上げたのである。奴隷とされていた頃は、「日没から夜明けまで」のうち、雑仕事や休息を除いたわずかな時間を、できるだけ仲間の黒人と共に過ごした。言葉はもはや英語だったが、思いの丈を込めて語り、懐かしい故郷の節回しで(「故郷」を知らない世代も)歌い、与えられたキリスト教を解放の宗教と受けとめ、旧約のイスラエルの民に我が身を重ね、祈り合った。何世代も経た末にようやく「自由の土地」になった南北戦争後のアメリカで、「アフリカ系」であると同時に「アメリカ人」であろうとした彼らは、被差別民とされたことに、どう向き合おうとしたのだろうか?(序章 二節より)

(社)日本図書館協会 選定図書

著者プロフィール

大森 一輝(オオモリ カズテル)

1963年北海道生まれ。北海学園大学教授。
一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位修得、マサチューセッツ大学アマースト校大学院歴史学研究科博士課程修了(Ph.D.)。
都留文科大学専任講師・助教授、ハーヴァード大学歴史学部客員研究員、都留文科大学文学部比較文化学科教授を経て、2014年4月から現職。
著書・訳書:『個人と国家のあいだ〈家族・団体・運動〉』(共著、ミネルヴァ書房、2007年)、『ダドリー通り──破壊された街の再生の物語』(共訳、東洋書店、2011年)など。

目次

    目 次

序 章 人種という枷、人種という絆
     一 人種差別はなくなったのか?
     二 差別が禁止された社会における差別という背理

第一章 黒人法律家が夢見た「メルティング・ポット」と「メリトクラシー」
      ――ジョージ・L・ラフィン(一八三四―八六)、
          アーチボールド・H・グリムケ(一八四九―一九三〇)
      はじめに
     一 統合から融合へ――ラフィンの人種混合論
     二 属性から業績へ――グリムケの自己責任論
      おわりに 49

第二章 黒人は「愛国者」たり得るのか?
      ――ジェームズ・H・ウルフ(一八四七―一九一三)
      はじめに
     一 GARと黒人復員兵
     二 ジェームズ・H・ウルフとは何者か
     三 「我々は何のために戦ったのか」
      おわりに

第三章 アフリカに真の「アメリカ」を作る
      ――アレクサンダー・クランメル(一八一九―九八)
      はじめに
     一 黒人にとっての「アメリカ」
     二 真の「アメリカ人」としてのアレクサンダー・クランメル
      おわりに

 【コラム1】 ブッカー・T・ワシントン――南部黒人を守る「ボス」

第四章 「無色」中立のデータで「黒人」の資質を証明する
      ――モンロー・N・ワーク(一八六六―一九四五)
      はじめに
     一 モンロー・ワークとは誰か?
     二 ワークはNYBで何を記録/主張しようとしたのか?
     三 ワークとNYBが残したもの
      おわりに

 【コラム2】 W・E・B・デュボイス――黒人解放運動の怜悧な「頭脳」

第五章 「人種」を否定する「黒人」活動家
      ――ウィリアム・モンロー・トロッター(一八七二―一九三四)
      はじめに
     一 ドン・キホーテ?
     二 近代的、あまりに近代的な
     三 忘れられたヒーローの発掘
      おわりに

 【コラム3】 マーカス・ガーヴィ――夢を売る「山師」

第六章 黒人「保守」派は何を守ろうとしたのか?
       ――シェルビー・スティール(一九四六―)、グレン・ラウリー(一九四八―)
       はじめに
      一 カラー・ブラインド論の系譜
      二 公民権運動の記憶
      三 黒人「保守派」の出現――勝利と「敗北」と再生の道
       おわりに

終 章 「人種」という虚構、「人種」という希望
      人種と向き合う
      記憶と希望を取り戻す

あとがき

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