木下 修写真集 東京変奏曲

木下 修写真集 東京変奏曲

木下 修 写真
A5判 / 184ページ / 並製
定価:2,800円 + 税
ISBN978-4-7791-1813-5 C0072
奥付の初版発行年月:2012年07月 / 書店発売日:2012年07月25日
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内容紹介

人間が意志をもって自然に手を加え、作り出した都市の中にも、自然が色濃く影を落とす。絶えず現れては消え、鮮やかに変身する絵画のような街の造形物を撮ってみた・・・変貌する都市、3600日の歩行撮影! 10 セクション

異彩あふれる街の意匠・・渾然一体の路地・・昭和の残映漂う看板
光と影の空間の道・・異景を創る分岐・・ 宙を描く蜘蛛の糸の電線
進化していく東京の空・・

全カラー写真152点

前書きなど

マンモス東京の謎に迫る三千六百日の歩行撮影 …………………ジャーナリスト◉岡井耀毅
 江戸幕府の開府からおよそ四一〇年近い歳月が流れたが、東京ほど激変し、その街景の変貌をくり返してきた都市は世界でも珍しいのではなかろうか。
 明治維新で帝都となり、近代化していったが、一九二三(大正一二)年の関東大震災で壊滅した。だが、驚異的な復興のエネルギーは見事に世界に冠たる「大東京」をつくりあげていき、約二〇年後の一九四五(昭和二〇)年の東京大空襲でも焼け野原となる悲運に見舞われたが、三たび見事な都市形成をなしとげている。
 たしかに、関東大震災後の大正・昭和をまたいだ帝都復興事業では、大規模な企画整理が行われ、昭和通りや靖国通りなどにみられるように車道と歩道を分けて舗装幹線道路がつくられており、初の地下鉄も開通した。都市計画専攻の北海道大学の越沢明教授はこう述べている。
 「これはわが国初の大規模な都市計画だった。これで江戸時代のままの街が近代的な大都会に変わり、現在の東京の原形ができ上がった」と。
 だが、復興事業の外側地域の規制はないままで、その混在ぶりは相変わらずだったため、現在、東京都では「十年プロジェクト」として、震災など大災害に備えて強い都市づくりを推進しようとしている。
 新しがりやで競争心が強く、エネルギッシュな国民性は、都心にめぐらした地下鉄網にもあらわれているが、高層ビルディングの建築ラッシュにも顕著である。日本初の超高層ビルとして話題をさらった地上三十六階建て(一四七メートル)の霞が関ビルディングは一九六八年に完成し、最上階の展望台には多い日で一万人が来場してにぎわっている。二年後の七〇年代を迎えると、さらに天をめざす超高層ビルの建設ラッシュが訪れ、新宿住友ビル、サンシャイン60、東京都庁、六本木ヒルズとつづく。そして、さらに二〇〇七年には官公庁が入る「霞が関コモンゲート」が完成する。一方、テレビ放送の多局化対策で一九五七年には、いち早く東京タワー(三三三メートル)が完成していたのだが、二〇一二年五月には、さらに天空めざした世界最高の東京スカイツリー(六三四メートル)が完成して、話題をさらっている。
 本書は、こうしたマンモス東京の多様な面貌を鋭いカメラアングルでくまなく照射してあますところがない。いまだに昭和の残影を色濃く刻み込んだ住宅街や昔なつかしい看板が残されている一方で、高層ビルが林立し、さまざまな形態の道路がかぎりなく網の目のように走り、頭上には電線が無秩序にめぐらされ、町全体が刻々と鼓動しているかのようである。デザインも建物の高さも不揃い不統一で、看板もまことに個性ゆたかで、大正・昭和・平成の時代の色彩を濃く浮き彫りにしている。十年近い歳月をかけて東京を凝視しつづけてきた木下修は、「外形にこだわらない変容性と柔軟性のある町づくりが再生能力や増殖能力の源になっているのだろう」と言う。
 木下修のふるさとは、兵庫県の丹波柏原で、織田信長の弟信包が柏原藩主となり、当時からの城下町が存続してきた。いまでも織田歴代藩主の廟の維持は柏原藩士の子孫の手で行われているというほどで、古い伝統の中で育っている。
 はじめて上京してきた木下修は、おそらく驚愕したにちがいない。繊細な美意識がひらめく彼をとらえたのは何であったか。木下修は、その驚きを肉眼だけでなく、カメラの眼で視覚的にえぐり撮ろうとしたのだ。
 彼は歩いた。歩き回った。どんなささいな景観も彼には異国の中の光彩に照らされたように新鮮に奇異に映じたにちがいない。郷土に似た古い街並みにはひと息ついて慰められるように感じただろう。そんな視覚的体験のいきいきした告白の一書でもあろうか。木下修は、多彩な景観からひそかに奏でられている変幻自在な「変奏曲」のメロディーを聞きつけたにちがいない。類いまれなドキュメント東京景観の名曲に乾杯!

版元から一言

『東京変奏曲』に寄せて……………………写真家◉中谷吉隆

 大都会東京は、都市構造もそこに暮らす人間のあり方も常に変化している。その変わり様は激変を続ける発展途
上国である中国都市部やアジア各国には及ばないにしても、欧米の主要都市と比べると大きいといえる。
 とは言え、近年の大地震や大火災などの災害によって消滅し更地の土地に家屋やビルなどが建造されるのではなく、古くは関東大震災、第二次世界大戦の東京大空襲などを経て、戦後の経済成長、東京オリンピックそして高度経済成長期という大きな変換点に都市化されていった経緯によってその構造は変革しており、バブル期その崩壊とつながるなかで、カオス的今日の状況が形成された。
 木下修氏の写真との出会いは、勤務の休暇を利用してヒマラヤを旅し撮影した、いわゆる趣味的なものであっ
たが、単なる旅行スナップとは一味異なる表現としてあり、自身としては初の個展『憧憬のヒマラヤ──イムジャツェ登頂』に結びつくが、それが二〇〇一年である。その後、彼は写真ジャーナリストの岡井耀毅氏が主宰する写真の勉強会「光塾」で、仲間たちと研鑽していく。
 そういった中で、変貌する都市の片隅に置き忘れてしまったような下町、路地などに被写体を求め、勤務の傍
らカメラを片手にそれこそ野良犬のように歩き始める。居住していた地域が撮影環境としてあったこともあろう
が、古い民家や小さな町工場が醸しだす人間の匂いを、ある意味では自分と写真との間を繋ぐものとして、そこには人間は写ってこないが、真昼の光にさらされた光景の持つ異形に魅せられ、必要に切り取っていく。
 それらの作品は、その後東京をテーマとして、魔物が棲む大都会にいろいろな角度で迫る原点となる第一回個展
「路地伝説」となる。それを起爆剤として古きよき時代に思いを馳せるものから、急速に貌を変える都市空間を、地図を頼りにしての作業ではあるが、偏狂的とも思える拘りを持ってカメラを向けていく。新しく建ち上がった超高層ビル群やビルの谷間からの光景、電信柱と電線の異空間などなどを執拗に写真化して「道の先を曲ると」「東京空間」「東京異彩」「東京電線」の個展に結実した。
 即物的な表現から、主観を重要視した切り取りの多彩性、造形を意識した表現のあり方の変化は、その制作過程の写真を見ていた私にとって驚きでもあったが、アマチュアイズムとはこういうものだと感動、納得させられもしたものだった。勤務をリタイアしてからは撮影に拍車がかかったようだ。
 木下作品は、写真の根底にある「光と影」がまっとうされているだけに、ある一瞬の光のあり方で白昼に曝された被写体物が強烈に迫ってくる。しかも、銀塩フィルムに執着して、色彩の諧調やコントラストが存分に引き出さ
れているのが印象的であり、カメラはレンジファインダーを好み、広角、超広角レンズが駆使されていて、その画角の描写性を熟知しての絵づくりは、異彩を放ち見事である。
 今回、岡井耀毅氏の編集、構成でこれまでの東京作品が写真集『東京変奏曲』としてまとめられたことは、実に喜ばしいことであり、これからの写真活動により一層の励みとなるだろう。

著者プロフィール

木下 修(キノシタ オサム)

(きのしたおさむ)紹介
1947 年 兵庫県生まれ
2001 年 個展:「憧憬のヒマラヤ」(ニコンBis サロン)日本フォトコンテスト誌口絵掲載
2003 年 個展:「路地伝説」(コンタックスサロン)日本カメラ誌口絵掲載
2005 年 個展:「道の先を曲がると」(同)、個展:「水田に出現した異空間」(ペンタックスフォーラム)
2007 年 個展:「山あいの城下町」(コンタックスサロン)
2008 年 個展:「東京空間」(JCII クラブ25)
2008 年 個展:「東京異彩」(コンタックスサロン)日本カメラ誌口絵掲載
2010 年 個展:「東京電線」(HLC フォトギャラリー) フォトコン誌口絵掲載
所属団体:日本写真協会、光塾(岡井耀毅氏主宰)

目次

マンモス東京の謎に迫る三千六百日の歩行撮影 ◉岡井耀毅
『東京変奏曲』に寄せて ◉中谷吉隆

1異彩あふれる街の意匠
2渾然一体の路地
3昭和の残影漂う看板
4「太陽のない街」の壁
5描き出された風蝕模様
6光と影の空間の道
7レンズに映る不思議な光影
8異景を創る分岐
9宙を描く蜘蛛の糸の電線
10 進化していく東京の空
 
あとがき

関連書

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