現代パプアニューギニアの伝統とジェンダー結婚と扶養の民族誌

結婚と扶養の民族誌 現代パプアニューギニアの伝統とジェンダー

馬場 淳 著
A5判 / 400ページ / 上製
定価:6,200円 + 税
ISBN978-4-7791-1768-8 C0039
奥付の初版発行年月:2012年02月 / 書店発売日:2012年02月23日
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内容紹介

パプアニューギニアのマヌス島のクルティ語を話す人たちの村―クルティ社会を断続的に計15ヶ月間(1999年から2006年まで)現地調査した成果。
19世紀後半植民地化され、二つの大戦に巻き込まれ、戦後は国際社会の一員たる主権国家の建設に向き合い、独立後は持続可能な経済社会を模索してきてパプアニューギニア人たち。この激動の過程は、彼らの意思や抵抗と相互作用しながら、地域社会のあり方を総体的に変え、現在の生活世界をかたちづくってきた。
本書では、近代社会の「常識」の概念では計れない「伝統的慣習」のなかでの結婚と扶養をめぐる人々の生活実践をジェンダーの視点――男女双方の視点や関係性を踏まえながら、男女の協同や衝突の姿、そして交渉しながら日常生活を構築していく力動的な過程――から記述するとともに、こんにちの伝統(カストム)のあり方をみつめる。

前書きなど

 フィールドへ
 地図を開いて、日本からオーストラリアの方向へ視線を移していくと、恐竜のようなかたちをした大きな島がないだろうか。その東半分と周辺の島々が、本書の舞台となるパプアニューギニアである。ここをはじめて訪れたのは、一九九九年の初夏、私がまだ大学院(修士課程)に在籍していたときであった。法学部あがりで、フィールドへの愛着と人類学的感性に欠けていた私に、「フィールドに行って来い!」と半ば強引に背中を押してくれたのは故・大塚和夫先生だった。この小旅行には、「予備的調査旅行」として、近い将来を見据え、長期の人類学調査の対象地選定やコネづくりを行い、かつ一定のテーマ(家族計画の実態)について調査をしてみるという「真面目な」目的があった。しかしパプアニューギニアに赴く私の気分は正直、探検家のそれだった。たとえ民族誌から社会変容が進んでいることを知りながらも、どこかで「エキゾチックな場」であることを期待していた。
 パプアニューギニアといえば、「最後の秘境」とか「未開」といったイメージがつきまとうが、言うまでもなくそれは実態に見合った物言いとはいいがたい。「伝統に縛られた人々」というのも、しかりである。「伝統」「未開」が「近代」や「文明」の反転像として構築された近現代的な現象であることは間違いないが、事情はより複雑である。こんにち、それを「われわれ」が創り出すオリエンタリズム的な構築物なのだと、単純にいい切ってしまうことには注意が必要なのである。というのも、「最後の秘境」とか「未開」といったイメージは、観光を推進しようとするパプアニューギニアの国家的戦略でもあるからだ。試しに手元にあるパプアニューギニアのキャッチコピーをみてみよう――「神秘の土地」(Land of Mystery)、「大自然があふれる南太平洋のパラダイス」。現地の人々は、身の回りの自然や生活様式――つまり文化――が「神秘の土地」として商品価値をもつことを知っている。けばけばしいペインティングと派手な装飾を身に付けた伝統的な立ち振る舞いが文化ショーとなり、仮面や精霊小屋も観光資源になることを知っているのだ。それはたんに金のためだけではなく、ときに現地の人々がグローバル化する世界で自らを定位しようとする文化的アイデンティティの手段にもなっている。こうして「エキゾチックな場」は、「われわれ」と「彼ら」のダイナミックな相互作用が懸命に創り出してきたものなのである。「残念」ながら、私が辿りついたのは――そして本書で描いていくのは――もっと地味な、生活の場だった。しかしそこもまた、歴史と人々のきわめて人間臭い活力が交錯するダイナミックな場であることに変わりはない。
 私が訪れたのは、ニューギニア島の北方、ほぼ赤道に近い海上にあるアドミラルティ諸島だった。首都ポートモレスビーに降り立った私は、国内線に乗り換えると、再び赤道方面に向かって八〇〇キロほど逆行しなければならないわけだ。マヌス島は、このアドミラルティ諸島のなかでもっとも大きな島であり、マヌス州の中心となる島で、北東部に行政機能をもつ州都ロレンガウを置く。ここは、アメリカの著名な文化人類学者マーガレット・ミードが一九二〇年代後半に調査したことで、人類学の世界で著名な場所となった。また太平洋戦争では戦場となり、多くの日本人が命を落とした場所でもある[例えば、読売新聞大阪社会部 一九九三]。よって今もなお慰霊のために訪れる日本人遺族は絶えない。
 かつてミードは、自ら調査対象としたマヌス族(厳密には、チタン言語集団)がカヌーでリーフ上に建てられた家々の間を行きかう光景をみて、「原始的なベニス」と表現した[ミード 一九八四:八三︱八四]。こんにちでも丸太をくり抜いたカヌーは近距離(内海)移動で使われるが、長距離移動は船外機付きモーターボートに置き換えられた。私はロレンガウを拠点に、モーターボートを乗り継ぎながら、ミードや先達者とは異なる調査対象を求めて、村々を転々とした。
 ゆく先々で、村人と取り交わす会話は、私が日本人だということもあり、この太平洋上の小さな島が「われわれ」の世界と強く結びついていることを如実に実感させてくれた。太平洋戦争というシリアスな話から、日本人男性と結婚したマヌス女性のサクセス・ストーリーまで話題は尽きない。キョウダイが白人と結婚し、オーストラリアへ移住し、それを足がかりに親族と金がオーストラリアとマヌスを往還しているとか、かつて仕事でアメリカや日本、シンガポールをはじめ世界を周遊したことがあるとか、親族の誰某はオーストラリアやカナダで修士号・博士号をとったとか、日本の筑波で米の研修をしてきただとか、日本の青函トンネルや新幹線を絶大な感動をもって語ったり、「そのテクノロジーを使ってマヌス島とニューギニア本島をつないでほしい」などと要求してきたりもする。日本の援助をカーゴカルトの如く待ちわびている姿は、他の開発途上国にもいえるかもしれないが、ここで強調しておきたいのは、彼らが日本をはじめ先進国をよく知っているということである。「最後の秘境」や「未開」に生きるパプアニューギニア人のイメージが問題なのは、「われわれ」の世界と時間から「彼ら」を切り離し、つまるところ生活の場がもつダイナミズムを隠蔽してしまう危険があるからなのだ。
 さて、訪れた村々のうち、私が短期間の滞在先として選んだのが、D地区であった。ロレンガウから西へ約三〇キロの北岸にあるこの地区は、マヌス島北岸中央部から内陸高地一帯に広がるクルティ社会の一部であった。
 D地区の第一印象は、私がパプアニューギニアに対して抱いていた村落のイメージとは随分異なっていた。パプアニューギニアの伝統的な村落景観といえば、男性小屋(men’s house)、出自集団のテリトリーごとに分かれた散村やロングハウス(長屋家屋)、首長を中心に形成される小村などであろう。D地区は内陸高地にかけての広大な領域を有しながらも、ほとんどの住民は海岸部の一定地域に集住している。なかでもケンプと呼ばれる集住地帯はD地区総世帯数の半分以上を占め、その辺縁部を含めると八割以上を占めている。ケンプはきれいに切り開かれ、家々が真ん中に通る道路に沿って軒を連ねていた。家屋の成員たちは、核家族を指向する意識を有し(実態は異なるが)、婚後の居住地もかなり自由に選んでいた。実に、この領域は土地所有権が「留保」されており、誰でも好きな所に家を建てることができるということだった。そしてケンプを中心に、小学校、簡易診療所、キリスト教会(カトリックおよびプロテスタント諸派)、マーケット場、簡易水道設備、サッカー場があり、村落機能がパッケージ化されていた。簡易水道設備によって、ケンプの裏手にある大きな滝(ササウ滝)から引いた水は、プラスチック製パイプを通って海岸部まで供給されていたのである(一九九九年当時には、五つのパイプによって水がケンプにもたらされていた((1)))。そのため、水汲みや水浴びをすることに苦労することもなかった。村の生活に若干の不便さを感じたものの、モノがないことを前提に準備した探検家なみの装備のうち、使わずじまいのアイテムは多かった。
 こうした村落景観の原型が、二〇世紀初頭に本格化した植民地統治だけではなく、戦後マヌス島南東岸で生じたパリアウ運動によるものだということを知ったのは、長期調査に入ってからのことである。従来、マヌス島北岸の人々は、カトリックの影響が強いため、パリアウ運動に賛同しなかったと指摘されてきたが[Carrier and Carrier 1991:75]、クルティ社会、とくに海岸部の住民は、パリアウ運動に積極的に参加していたのである((2))。第三章で詳細に検討するように、この運動は、白人の生活様式とキリスト教をモデルに従来とはまったく新しい社会秩序の創成を目指し、マヌスの近代化を促すとともに、こんにちの伝統文化のあり様に深い影響を与えたのだった。
 今一つ特筆すべきことは、日常生活に占める現金の割合が高いことである。人々の主食はサゴデンプンやタロイモ、魚であるが、常食ではないにしろ米、ヌードル、缶詰の魚・肉もかなりの程度消費されているのが実情である。これらの食品に加え、学費、衣類、石鹸、ランプの灯油、タバコなどの嗜好品、教会への寄付金、交通・通信費など、日常的に現金が必要とされる。ケンプ内にあるいくつかの――盛衰が激しい――小商店では、こうした食品や日常雑貨から、酒やガソリンにいたるまで、いつでも必要なものを購入することができる。そして複数の家は、船外機付きモーターボート、ジェネレーター、太陽光発電の電灯、トタン屋根の立派な木造建築家屋、冷蔵庫、テレビ(ビデオ鑑賞)を所有し、そうでない家との間に明白な経済格差を際立たせていたのである。現金はすでに人々の「豊かな暮らし(gutpela sindaun)」を構成する、確かな構成要素となっていた。またこの現金は、いまや儀礼の不可欠な交換財となり、伝統的行事(ピジン語でカストム・ワーク(kastom wok)と呼ぶ)のあり方そのものを変えつつある(第四章参照)。
 このことは、マヌスの経済史をひも解けばすぐにわかることである。第二章でも触れるが、他の太平洋島嶼諸社会と同様に、マヌスでも出稼ぎ移民の送金が植民地初期から漸次的に貨幣経済化を促してきた[cf. Carrier and Carrier 1989]。とくに戦後の移民たちは相対的に高い学歴をつけ、公的な職種(公務員など)に就き、安定した給料を得るようになった。彼らの送金が、地域社会の貨幣経済化を劇的に加速させたといえる。天然・鉱物資源や観光をめぐる産業がほとんど発達していないにもかかわらず、貨幣経済が人々の生活に浸透しているのは、このためである。学歴を積み、高給取りの職業に就き、地元(故郷)に送金するというパターンは、こんにちのマヌス一般で広く見られる世帯戦略である。学費の工面に腐心する理由はよくわかる。
 調査を重ねていくにつれて、貨幣経済の浸透が地域社会につくりだす新たな闘争を知るようになった。それが、本書の第八章で取りあげる扶養費請求訴訟である。これは、男性と離別した女性たちが、相手(男性)に対して自らの生活費や子どもの養育費を求める訴訟である。この法制度は、植民地主義的権力関係のもとで宗主国オーストラリアから導入されたもので、地域社会の伝統的規範や慣習的実践とはまったく無関係である。馴染みのない他者(近代西洋)の法システムであるにもかかわらず、女性たちがこの近代的な裁判を利用する背景には、貨幣経済の浸透を軸に、結婚や家族をめぐる伝統的実践の変容、ライフコースの多様化、紛争処理制度の多様化、正義の感覚((3))などが複雑に絡み合っている。もちろんこの制度を利用する女性はまだまだ少ないが、発動されれば、確かな「一撃」として、既存の人間関係や生活状況を再構築していく看過しえない効果を有するのである。
 近代的な法システムは、学校やビジネスとともに、「白人のやり方(pasin bilong waitman)」とか「白人のカストム(kastom bilong waitman)」とよばれる。住民は「白人のやり方」が植民地化以降に導入された、西洋由来の制度やモノ、行為であり、自分たちのカストムや「先祖のやり方(pasin bilong tumbuna)」とは異なるものだと考えている。カストム(kastom)とは、伝統や慣習を意味するメラネシア・ピジン語(パプアニューギニアの共通語)である。ただしこれまで見たことは、生活世界が、伝統的なものだけでなく、「白人のやり方」と呼ばれる一連の思考や行為、モノと制度を不可欠の要素としながら構成されていることを示している。これは、ダグラスが、「日々の近代」(everyday modernity)と呼んだ状況といってよいだろう[Douglas 2003]。
 彼らは「われわれ」の世界と時間を共有しつつ、彼らなりに「近代」を生きている。もちろん、この「近代」とは、単に一方的に西洋からもたらされたものではなく、地域社会に生きる人々の意味づけや社会的戦略を通じて取り入れられた一つの近代のあり方という意味である。彼らなりの「近代への入り方」[cf. 古谷 二〇〇一]や「近代」に生きる自意識については、本書の記述のなかで明らかになっていくだろう。

版元から一言

 本書の目的
 実に、パプアニューギニアの人々は、一九世紀後半ヨーロッパ列強によって植民地化され、列強が勝手に始めた二つの大戦にいきなり巻き込まれ、戦後は国際社会の一員たる主権国家の建設に向き合い、独立後は持続可能な経済社会を模索してきたのである。この激動の過程は、彼らの意思や抵抗と相互作用しながら、地域社会のあり方を総体的に変え、今目の当たりにする生活世界をかたちづくってきた。本書では、結婚と扶養をめぐる人々の生活実践をジェンダーの視点から記述するとともに、こんにちの伝統(カストム)のあり方をみつめていきたい。以下では、本論のキーワードとなる四つの主要概念(結婚、扶養、カストム、ジェンダー)について簡潔に整理しておこう。
 結婚とは、これまで多くの人類学者が定義を試みてきたが、今だに満足のいく定義がなされていない難しい概念の一つである。こんにちの人類学では、無理に普遍的な定義をするのではなく、対象社会の民俗概念を採用するのが通常となっている。ここではさしあたり、クルティ社会の知覚評価図式に沿って、結婚(婚姻)を、互いを配偶者(mbrului)とみなす男女の関係性を意味するものとする。クルティの人々がosou(クルティ語で結婚を意味する)と呼ぶこの関係性は、カストム・ワークと呼ばれる伝統的行事を通じた社会的承認、持続的な同居、性交への排他的かつ持続的なアクセスなど複数の基準のもとで捉えられている。婚姻届を役所に出す村人はおらず、しかもカストム・ワークが必ずしも行われるわけではないこんにち、未婚・結婚・離婚の境界線はひどく曖昧なものとなっているのが実情である。
 また扶養は、ある範囲内の家族・親族を養育・扶助する(etueke-iy)ことを指す。まず注意を促しておきたいのは、近代社会・先進国の「常識」でパプアニューギニアの扶養をみてはならないということである。扶養という行為の意味が「われわれ」とは似て非なるものであることのほか、家族・親族の概念や範囲そのものも違う。そもそも、離別や扶養放棄((4))という状況に際して、一方の配偶者が他方の配偶者と子どもを扶養するという――われわれに馴染みのある近代的な――権利義務概念は、伝統的なクルティ社会には存在しなかった。というのも、父(夫)・母(妻)・子どもという三者関係は、双系的親族やリネージという広範な人間関係と集団生活のなかに埋め込まれているからである。子どもは父母双方を通じた親密な人間関係の網の目を柔軟に移動している。彼らが落ち着くところでは親族が当然のように父/母の役割を引き受けるし、養子や里子慣行も頻繁に行われている。本書は、扶養を、現地の人々の生活を支えるメカニズムというより広い視野から考えていくことになるだろう。
 この二つのテーマは、連続している。こんにちの結婚生活やパートナー関係はすぐれて不安定であり、子どもをもちながらも男女が離別を繰り返すという事態は、クルティ社会でしばしば見られる光景である。この状況を踏まえると、関心や注意が離別後のパートナーや子どもの扶養の問題に向かっていくのは、少なくとも私にとっては、ごく自然の成り行きだった。その意味で本書は、現地に滞在するなかで生じた疑問に対して私なりに出した理解・解答だといえるだろう。
 カストムとは、先にも触れたように「伝統的慣習」を意味するピジン語であり、「先祖のやり方」「昔からのやり方」と互換可能な言葉でもある。だがカストムに直接翻訳できるような現地語はない。これまで自明とされた信念や実践をカストムという言葉で自覚的に語るという現象は、実はそれほど古いことではないのである。そもそも、ピジン語そのものが一九世紀末の植民地化にはじまる「他者」――具体的には「白人」や他民族――との接触から生じた混成語である。私が調査に入った二〇〇〇年代にはごく普通に使われていたが、一九五〇年代からマヌス島で調査を継続してきたシュヴァルツは、カストムという言葉を日常的に耳にするようになったのは一九七〇年代のことだと回想している[Schwartz 1993: 515]。このことは、地域社会を取り巻くよりマクロな歴史的・政治的変動と密接にかかわっているのである。確かに、こんにちの「伝統」が、ナショナリズムや文化的アイデンティティにかかわる政治的な象徴として、創造/発明されたものでもあるという見方・議論は珍しいものではない[ホブズボウム/レンジャー 一九九二]。しかし本書が対象としていくのは、そうしたマクロな変動を踏まえつつも、人々が主体となって織りなす地域社会のミクロな歴史や日常生活の具体的な現場である。私はそこに現れるカストムの多様かつ動態的な位相を記述・分析していく。
 最後のジェンダーについて、はじめに強調しておきたいのは、本書が、従来のフェミニスト人類学のように、女性の従属や抑圧、ジェンダー不平等そのものをテーマとするのではなく、また特定の性(女性)のみにコミットするわけでもないことである。筆者が注目・記述するのは、男女双方の視点や関係性を踏まえながら、男女が衝突や交渉しながら日常生活を構築していく力動的な過程である。本書では、これをジェンダーの政治学と呼ぶことにしよう。「政治学」という言葉で私が捕捉しようとしているのは、権力関係の制度的構造化だけではなく、相互行為水準における権力行使の諸相――「我々が他者のエージェンシーに影響を与えることを通じて、変容の効果を見出していく一連の活動と認識できるような、個々のエージェント間の衝突(impingements)の網の目」[Strathern 1985a: 64]――である。この観点からすれば、結婚と扶養をめぐる諸事象は、男性と女性がそれぞれに、ときに協同し、ときに衝突しながら構築していく絶えざる政治的実践の集積((5))ということになる。本書がみつめようとするカストムは、こうしたジェンダーの政治学の渦中にあるものなのである。


  フィールドワーク
 本書は、一九九九年以来、クルティ社会(とくに海岸部)を対象に、断続的におこなった計一五か月間(一九九九年六月―七月、二〇〇二年八月―二〇〇三年一月、二〇〇三年六月―一二月、二〇〇六年二月―三月)の調査の成果である。フィールドワークと民族誌のあり方が問い直されるこんにち、本書の背景を述べておく必要があろう。
 二〇〇二年八月、私は先の予備的調査旅行で知己を得たホストファミリーに受け入れていただき、そこを拠点に人類学的調査を本格的にはじめたのだった。ホストファミリーは、「パパ」の母が属す集団の土地――行政上はL地区で、D地区との境界付近――に居住していた。そして約三カ月後、私はホストファミリーとともに暮らす土地にちなみ、ワオ(Waoh)という現地の名前を与えられた。ワオは、「パパ」の母方祖父の名前である。この出来事は、私が現地社会の「住民」や「家族」と認められたことを意味するが、同時にさまざまな権利義務を内包した濃密で不可避な人間関係の網の目の一部になったことでもある。これは、サーリンズ[一九九三]の言葉を使えば、彼らの「野生の算術(カルキュル・ソヴァージュ)」でもあっただろう。つまり彼らにとっては、「テクノロジーと金の国」=日本からきた人間を包摂することがやがてなんらかの利益をもたらすだろうという期待と策略があったはずなのである。この民族誌は、私が巻き込まれた人間関係と不可分に結びついている。
 もちろん、それでもなお「クルティの人間」として認めず、私の調査に協力的でない人も、ごくわずかだが、いた。ある老人は「外国からきたお前には何も語らん。クルティの人間なら、いくらでも支援するがね」と拒否の意向を示したが、彼はこの調査が彼らの利益というよりも、博士論文によって身を立てていく私の利益になることを見抜いていたのだ。とはいえ、それぞれの「得意分野」で活躍している有能なインフォーマントの多くは調査に快く応じてくれた。何よりも「パパ」がカストムをよく知り、この地域のビッグマン(後述)であり、D地区から選ばれた「政治家」でもあり、かつ牧師でもあったことは、私の調査にとって大きな支えであり、救いであった。それは、彼個人のもつ知識(情報)量を意味するだけではない。こうした人の家は、絶えず多くの人が集まるという意味で、情報と人の交差点であり、議論の場であるという点で、重要なのである。
 二〇〇〇年代初頭という時代と、私が組み込まれた人間関係は、他方でこの民族誌の制約になっていることにも注意を喚起しておきたい。もし私とは性や世代、地位、人間関係、調査時期、学問的立場を異にする別の研究者がクルティ社会を描いたなら、クルティ社会の表象はまた違ったものになるかもしれない。例えば、次世代の人々が、自分たちの文化や社会を、この民族誌で描いたようには語ることはないかもしれない。私の書いた博士論文が話題になったときのことである。何度も語り合った五〇代のインフォーマントは、この博士論文が自分たちなしには書けなかっただろう――つまり「おまえはラッキーだ」――と、ある種の自負心をもって語った。


場「ええ、あなたやいつも僕が話している○○さんたちは、社会やカストムに対してよく分析して、語ってくれるなぁと思います。でも、次の世代、若い人たちはどうでしょうか。将来、あなたがたのように語るでしょうか……現時点ではあまりそうは思えないんですが……」

ンフォーマント「無理かもしれないね。俺たちと今の若者は教育レベルが大きく違う。俺たちは今でいう一〇学年とか六学年しかでていないけど、学校では白人が英語や勉強を教えてくれたんだ。今はどう? パプアニューギニア人が教師になって、英語でってことになっているけど、いつの間にかピジン語になってるし(笑) 卒業後は? 俺たちは白人と働いたんだ。白人はいろんなことを教えてくれた。俺たちもガムシャラになってそれについていった。独立して白人がいなくなって、俺たちがボス的な地位についた。トムは昔、税関の役人だったし、ンドラモイは防衛軍と教師、キラは警察、私は? 知ってるね。そして外で仕事をしてきた人が現地に帰ってきて、コミュニティのために働いているんだ。わかるだろ、現在このコミュニティを支えている人はみんな、昔、要職に就いていた人材(リソース・パーソン)なんだよ。お前のパパは、ちょっと違うけどね。」(二〇一〇年三月二日)

 彼も暗に含みこんでいるが、現在の若者・青年はそれほど学業成績がよくなく、政府の要職に就く人も少なくなった。これは時代の変化もあるだろうが――彼の時代は労働市場に参入しやすかった――、今の若者と自分の絶対的な違いを、白人に学び、白人のもとで働いた経験自体に求める者は少なくない。植民地統治の主体である白人(とくにオーストラリア人)にはしばしば批判的な見解が表明される一方で、今回のように彼らの能力の証明を白人に求めるというのは皮肉である。本書(民族誌)はこうした自意識をもつ人々を含めて多くのインフォーマントの語り抜きには成立しえないが、その成立要件自体が本書の制約となっていることは強調しておこう。
 本書が、筆者のポジションから解釈・再構成された「部分的真実」であることは確かである。ただ他者表象への自省/自制のもとにありながらも[例えば、クリフォード/マーカス 一九九六:太田 二〇〇一]、民族誌記述が今もなお人類学的研究や地域研究の中核的な営みとして価値を与えられ続けているのも事実である。理論は流行り廃りがあるものの――本書のカストム論も、提起されてすでに二五年近く経っている――民族誌的記述は特定の時代の一次資料として、後世にまでわたって参照され、ときに批判され、新たな調査研究や議論の土台となる。同時に、民族誌は、現地の人々が織りなす歴史の一部となる。M・ミード以来、マヌスの人々は自分たちの社会や文化について何が書かれているのかについて敏感であり、知識人たちは自らマヌスの歴史や社会文化のあり様を書きはじめた(第一章第四節)。もちろん彼らが、日本語で書かれた本書を読めるわけがないが、一般の人々でさえ「クルティについて書かれた本が日本にある」ということを認識している。人類学者は、現地でともに暮らす生活者として、また民族誌を書く調査者として、良くも悪くも、過去から未来へ続く彼らの歴史に関与している。
 なお本書に登場する人物の名称は基本的に仮名を用いているが、本人の承諾があったものについては本名で記している。またすべての敬称は省略させていただく。


  本書の構成
 本書は、理論的問題を扱う二つの章(第一章・終章)と、クルティ社会の民族誌となる七つの章(第二章―第八章)で構成される。民族誌記述のうち、第四・五章は結婚編、第七・八章は扶養編であり、間奏と第六章はそれら結婚と扶養の問題領域をつなぐ役割を果たす。そして第二・三章では、これらの経験的位相を記述・分析していく上での歴史的・社会的脈絡化を図る。各章の概要は、以下のとおりである。
 第一章では、カストムとジェンダーに関する先行研究をそれぞれ批判的に検討し、本論の理論的な背景を述べる。まずパプアニューギニアを含むメラネシア地域研究において、これまで「伝統的慣習」(カストム)がどのように理解されてきたのかを整理する。次に、パプアニューギニアを対象に行われてきたジェンダー研究・フェミニスト人類学の経緯を振り返り、ジェンダーの政治学という本論の基本的視座を示す。そしてこれらを踏まえて、カストム論とジェンダー研究の接点を提起する。本章の最後では、マヌスに関する先行研究を概観・整理し、マヌス研究史における本論の位置を確認する。
 第二章は、本論の民族誌的背景を、地理的・社会経済的視点から述べる。第三章は、歴史的背景として、パリアウ運動を検証し、居住空間から社会性、人々の意識、カストムにいたる甚大な影響力を査定・確認する。
 結婚編は、二つの章と「間奏」からなる。第四章では、結婚に関するカストム・ワーク(とくに婚資の支払い)や結婚戦略を記述・分析する。そのうえで、地域社会(カストム)と国家(法)のズレを明らかにする。第五章では、結婚生活における三つの問題(現金収入活動、避妊、調停)をとりあげ、それぞれの領域におけるジェンダーの政治学を検討する。間奏は、現代若者の「恋愛結婚」を取りあげ、パートナー関係の脆弱性や流動性を浮き彫りにするエッセイである。
 第六章は、結婚編と次の扶養編をつなぐ媒介として、離別、扶養と子どもの処遇、「シングルマザー」の実態を検証する。「シングルマザー」の生活を詳細に検討するなかで、扶養が真に問題かどうかを提起し、続く扶養編への連絡を図る。
 扶養編は、相対立する二つの章からなる。第七章では、扶養の問題がクルティ社会の日常のなかでいかに緩和・解消されるのかについて、私の解釈・理解像を示す。具体的には、生活環境、人間関係、カストム・ワーク、「振る舞い」といった複数の視点から考察し、生活を支える論理とメカニズムを明らかにする。それに対して、第八章は、植民地統治期にオーストラリアから移植された扶養費請求訴訟をとりあげ、その近代的実践がよりよき生活を模索する女性たちの実践のなかでどう活かされ、カストムとどのように交渉しているのかを具体的に明らかにする。
 終章は、それまでの論述を踏まえて、本書を分析的にまとめる。まず人々が対象化するカストムの多様性とダイナミズムを確認する。次にカストムの否定や近代的実践を含んだ異種混淆的な生活世界の在り方こそが、逆説的にもカストムの存続を支えるものであることを論じる。最後に、ジェンダーの政治学が、カストムの持続や変容(禁止さえも含む)をめぐる闘争のアリーナであることを主張・提起する。

著者プロフィール

馬場 淳(ババ ジュン)

著書等に『知の大洋へ、大洋の知へ!』「第三章 法に生きる女性たち──パプアニューギニアにおける法の権力作用 馬場 淳」所収(塩田光喜編著、馬場淳・石森大知 他著、彩流社、2010年)、『オルタナティブ・ジャスティス』「9章パプアニューギニアにおけるオルタナティブ・ジャスティスの生成 (馬場 淳)」所収(石田慎一郎 編、大阪大学出版会、2011年)などがある。

目次

序章
  フィールドへ 15  本書の目的 20  フィールドワーク 23  本書の構成 26 

第一章 理論的背景 29
 第一節 伝統文化論 29 
  1 カストム論の概要 29 
  2 カストムとポジションの問題 32 
  3 客体化論 36 
 第二節 パプアニューギニアにおけるジェンダー研究 39 
  1 性の対立論 40 
  2 社会変化とフェミニスト人類学 42 
  3 ジェンダーの政治学 45 
 第三節 ジェンダー研究とカストム論の接点 48 
  1 カストム論におけるジェンダーの問題 48 
  2 ジェンダーの政治学における客体化の類型 51 
 第四節 マヌス研究史 53 

第二章 民族誌的背景 61
 第一節 調査地の概要 61 
  1 マヌス島 61 
  2 クルティ社会 65 
  3 D地区 66
 第二節 生活世界 67 
  1 生活世界と三つの意味領域 67 
  2 クルティ社会の人間観 70 
   (1)人のカテゴリー 71  (2)ウム・カマル 72  (3)ビッグマン 74 
   (4)「家族」と世帯 76  (5)「振る舞い」 76
 第三節 社会の構成 79 
  1 D地区の社会構成 79 
  2 クランの役割 82 
  3 単一起源神話の虚実 84 
  4 二つの出自原理の併存 87 
 第四節 経済生活 90 
  1 マヌス州の経済 90 
  2 生業とマーケット 93 
  3 流通 95 
  4 食生活の実態 96 

第三章 辺境の歴史――パリアウ運動とD地区 107
 第一節 パリアウ運動の概要 107 
 第二節 ケンプの誕生 111 
  1 パリアウ運動以前のD地区 111 
  2 ケンプの建設 114 
 第三節 運動下のD地区住民の実践 115 
  1 カウンシルのやり方 116 
  2 社会状況 118 
 第四節 D地区住民の脱魔術化――運動の「終焉」の語り 120 
  1 パリアウ運動とカーゴカルト 120 
  2 パリアウ運動の「終息」 123 
  3 パリアウを語るということ――ンドラモイの事例 126 
 第五節 パリアウ運動以後の世界 128 
  1 ウム・カマルから新しい共同性へ 128 
  2 カストムの歴史的構成 130 

【結婚編】   

第四章 婚姻慣行の持続と変容 137
 第一節 結婚とカストム・ワーク 137 
  1 カストム・ワークの種類と意義 137 
  2 結婚をめぐるカストム・ワーク 139 
   (1)ナク・ウム 139  (2)ケリム 140  (3)トゥドウ・ピヒン 142
   (4)ンガップ 143   (5)ノウィ 143
  3 結婚の安定性 146 
  4 カストム・ワークの現状 147 
 第二節 結婚戦略の持続 149 
  1 「振る舞い」と結婚する!? 149 
  2 政略結婚 152 
   (1)戦前の事例:サリヤウ 153  (2)戦後の事例①:ンドラモイ 155  
   (3)戦後の事例②:ワイ 156
  3 「良い結婚」 157 
  4 複婚(一夫多妻) 160 
 第三節 婚資の支払いの現状 163 
  1 D地区におけるンガップの実施状況 163 
  2 婚資額の上昇 165 
  3 婚資額へのオブセッション 167 
  4 ンガップに向けたキャンペーン 170 
 第四節 結婚をめぐるカストムと法 173 
  1 結婚の法的分類 173 
  2 婚資の多義性 176 
 小括 180 
第五章 結婚生活とジェンダーの政治学 183
 第一節 経済生活における女性の役割と主体性 183
  1 地域社会での現金収入  183
  2 シシリアの現金収入活動  186
   (1)小商店の経営 186 (2)マーケット活動 188 (3)スコーン・ビジネス 190  
  3 「豊かさ」とは何か 191  
 第二節 性と生殖をめぐる政治学――避妊の実践 193  
  1 民俗生殖理論 193  
  2 女の仕事としての避妊 196  
  3 家族計画政策 199  
  4 D地区の家族計画の実態 203  
  5 避妊の実態――D地区診療所の家族計画カードの分析 205  
 第三節 紛争処理とジェンダー――離別をめぐる協議 210  
  1 パプアニューギニアの紛争処理制度 210  
  2 エリザベスの主張 213  
  3 キラの指向性――「政府の法は我々の家族を壊す」 215  
  4 ポールの語りとその変化 218  
  5 ワン・ベルとジェンダー・バイアス 224
  
間奏 南太平洋の恋愛日記――ケンと二人の女たち 229  
  1 ケン 229  2 ダイアナ 230  3 オリーブ 232  (1)再会 232  (2)悲劇 235
  4 三角関係の顛末 237  

第六章 扶養の「問題」の社会的背景 241
 第一節 離別の原因 241  
 第二節 子どもの処遇 248  
  1 子どもを扶養するということ 248  
  2 二つの原理を生きる子どもたち 253  
 第三節 「シングルマザー」の実態 257  
  1 シングルマザーの定義と困難 257  
  2 ありふれた存在としての「シングルマザー」――カストムの視点から 261  
  3 離別の風景 264  
  4 「シングルマザー」の生活形態――柔軟な世帯構成 266  
  5 離別後の扶養 269  

【扶養編】 

第七章 日常に埋め込まれた扶養 277
 はじめに 277  
 第一節 扶養する環境 278  
  1 社会環境の変化 278  
  2 系譜と空間の近接性 279  
  3 扶養する環境――「シングルマザー」の事例から 285  
 第二節 寄贈の構造――関係の再生産 287  
  1 ティネムブロイ 287  
  2 複数の寄贈 289  
  3 姉妹の重要性 290  
  4 関係の具体的客体化と再生産 292  
 第三節 カストムで生きる――食べ物の分配 293  
  1 平準化するカストム 294  
  2 カストム・ワークの扶養機能 297  
   (1)ンガップ(婚資)の支払い 297  (2)セヘル 298  (3)ペペイ 299  
   (4)カストムで生きる 300  
  3 闇の中のカストム 301  
 第四節 パラ・ソウエ儀礼――「振る舞い」の再生産 304  
  1 パラ・ソウエの規則と仕組み 304  
  2 パラ・ソウエの形式と内容 307  
  3 パラ・ソウエの関係性 309  
   (1)姻族 309  (2)ウム・カマル 310  (3)キョウダイ 311  (4)対象者の範囲 311
  4 想起される「振る舞い」 312 
  5 「悪い振る舞い」 313
  6 考察――「振る舞い」の再生産 315 
 小括 316

第八章 扶養の近代的実践 319
 はじめに――パプアニューギニアにおける法の問題 319 
 第一節 扶養費請求訴訟の概観 321 
  1 制度の概要 321 
  2 歴史と利用者推移 323 
  3 法の他者性 325 
  4 訴訟実践を支えるエージェント 327 
   (1)福祉事務所 327  (2)裁判所 328  
 第二節 扶養費請求訴訟のプロセス 329  
  1 訴訟歴の検討――サプックの事例 329  
   (1)訴訟のはじまり 329  (2)扶養費の増額をめぐる訴訟 330  (3)延滞金請求訴訟 332
   (4)刑務所へ 333 
  2 法と金と、ジェンダーの政治学 334  
 第三節 法の使い方 336  
  1 リンネのライフヒストリー 336  
  2 法の道具的指向 338  
 第四節 カストムと法の相互作用 341  
  1 扶養をめぐる合意――裁判所から日常的生活世界へ 341  
  2 扶養費請求訴訟のジレンマ 344  
  3 翻訳的適応――「振る舞い」の報酬としての扶養費 347  
 第五節 法とカストムの位置関係 349  
  1 国家法とカストムの併存 349  
  2 村落裁判と扶養費請求訴訟の対比――ケイパビリティの観点から 351  

終章 359  
  カストムの多様性とダイナミズム 359  カストムへの信仰 361  ジェンダーとカストム 365

あとがき 367 

初出一覧 24  
引用文献一覧 4  
索引 

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