日本の外科医である著者が、日本パレスチナ医療協会の医療ボランティアとしてパレスチナに滞在し、医療活動を通じて見聞きした紛争地における医療現場の真実。実際に手術などの医療活動に携わった医師にしか伝えられない紛争地の医療活動の理想と現実。
(さしやま ひろし)
千葉県出身。東京大学農学部畜産獣医学科卒業、獣医師国家試験合格後、千葉大学医学部に再入学。一九九四年医師国家試験合格。医師、獣医師、医学博士、農学修士。消化器外科医として研修する一方、海外での医療活動に興味を持つ。一九九八年十二月 日本パレスチナ医療協会での派遣で、短期のパレスチナでの医療活動を施行。一九九九年六月 ドイツ、フンボルト大学で肝移植の研修。
そして二〇〇一年十二月、本書にあるように、パレスチナでの二回目の医療活動を施行。二〇〇二年二月にはバングラディシュで医療活動を施行した。学生時代から海外旅行を趣味とし、現在まで渡航国は七十一カ国である。現在は千葉県内で病院勤務しており、消化器外科、肛門科、消化器内視鏡が専門。
はじめに 命は平等になっていない
行くまでは「他人事」だった/「テロ」対「戦争」/状況は悪化している
第一章 再びのパレスチナ、「戦傷外科」へ
「お前はどこででも死ぬことができるよ」/まさに紛争地に突入したのだ/紛争医療の現場、シーファ病院へ/パレスチナ流の「消毒」/ここは貧しい国には入らない。しかし平和ではない/パレスチナ人の命の重さはイスラエル人の三分の一?/PLOは信頼を失っている/アラブ人考/最後の一人になっても戦う!/ストリート・チルドレンがいない理由
第二章 紛争激化、ERも激務
一晩中続く爆撃/GP(一般医)も水準は高い/「このありさまを伝えてくれ」/シーファ病院の長く大変な一日/ラマダンとフィース/ガザ地区に配置された救急ステーション/救急士ももちろん命がけ/医師の資格/パレスチナ人は日本人をどう思っているか/アラファトの評判は地に落ちていた/再びエルサレムへ/自分の宗教にはみな詳しい/聖地だらけの地域/ベツレヘム/タクシードライバーとの闘い/パレスチナテレビに出演!?/またまた長いシーファ病院の一日/援助を私物化するPLO幹部/パレスチナ内部の対立/難民キャンプ その1/アル・アマル病院/難民キャンプ その2/アラブ時間/それぞれの医療スタンダード/医師の生活/医師はたいてい英語ができる/パレスチナ医療保険事情/材料持参で専門家を送るというやり方/またまた長いシーファ病院の当直その3/連続当直/呼び名は「ヒロシマ」「ハシモト」「トーシバ」
第三章 ほんとうに有効な援助とは何か
パレスチナの新年/ある器材で工夫する/見せられないほどのむごさ/バーベキュー大会(酒はなし)/膨大な手術件数/難民キャンプとリゾートマンション/重婚は経済的責任が条件/喘息で入院していたのにタバコを吸う/気勢を上げるハマス/今日も激しいシーファ病院の当直/外科医のスペシャリティ/武器密輸船問題/ハッタ(頭に巻く布)の色/有効な援助とは?/いざとなれば素早い手術/PRCSジャバリヤクリニック/イスラエルによる民家破壊
第四章 300万人の人々が、自由を奪われている
シーファ病院最終当直/ハルワジールクリニック最終日/シーファ病院最終日/そしてテルアビブへ/アムステルダム アンネ・フランクの家
あとがき その後のパレスチナ
日本テレビ「魔女たちの22時」(2010年9月28日)
NHK総合・NHK BS1 「アジアンスマイル」(2010年9月28日、10月2日~4日ほか)にて放送。
『医は仁術』を実践している
吉女先生は、命の女神であり、
韓国医療のトップランナーだ。
先生の仁術は日本でも話題沸騰! 韓国医療界の頂点になった立志伝!
“再び生まれることができるなら、
今の私よりももっとすばらしい女医になりたい!”
人は誰にも夢がある。幼い頃の夢は気宇壮大だ。しかし、人は成長するにつれ、社会の壁と向き合うようになり、自分の力を知るようになる。だが、これは日々の努力が足りないが故に、力不足だったせいもあるのだ。
著者は韓国全羅北道群山郊外の山だしの少女だったが、尽きない努力と夢への挑戦によって、ソウル大学医学部を経て、夢に見た新天地アメリカへ、そして患者の待つ祖国へ・・・・・・。患者と一心同体をモットーに医療活動を展開、四〇歳を超えた遅まきの日本留学(日大医学部)を経て、韓国での医療界のトップに彗星の如く躍り出た”"”"韓国の母〟であり、聖女でもある。
彼女の立てた嘉泉吉女病院と医科大学は、ソウル大学医学部や延世大学医学部(セブランス医科大学)に勝るとも劣らない設備と充実さを誇り、韓国における現代医療の先端を行く。
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