自然信仰・原始祖霊信仰・記紀神話古代神祇信仰の成立と変容

古代神祇信仰の成立と変容 自然信仰・原始祖霊信仰・記紀神話

籔田 紘一郎 著
四六判 / 365ページ / 並製
定価:2,500円 + 税
ISBN978-4-7791-1568-4 C0021
奥付の初版発行年月:2010年08月 / 書店発売日:2010年08月05日
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内容紹介

記紀神話の神々が多い現在の神社信仰の源流には、日本古代の自然信仰と原始祖霊信仰(鬼神信仰)があった。縄文時代から律令国家成立までの古代神祇信仰の形成、記紀神話、律令祭祀の形成の考察と神社信仰の変容の本質に迫る。

前書きなど

はじめに


   ──上古において、精神の歴史の痕跡は、宗教において示される。そして、日本の上古において   宗教は神の崇拝の名でよばれた。それゆえ神の研究なくして、上古の日本人の精神の研究は不可   能であり、従って、上古の日本人の歴史の研究も不可能である。    梅原 猛


 本書の目的は、古代神祇信仰の起源から成立までのプロセスを、古代史の視点から解明することである。同時に、記紀神話の形成過程と律令祭祀の内容についても見直す。古代神祇信仰と記紀神話と律令祭祀をひとしく考察する理由は、古代の神々が、この三カ所に分かれて存在するからである。
 古代から現代まで神祇信仰はどんどん変貌してきている。特に、明治以降に大きく変貌した。古代神祇信仰を知ることは現代の神社信仰のもともとの実体を知ることでもある。
 神祇とは、本書では日本の神々のことである。神道という言葉の文献上の初現は『日本書紀』用明天皇元年条(五八六年)であり、社殿の建立は七世紀中頃から始まると考えられている。しかし、日本人の神に対する信仰ははるか縄文時代の昔から存在した。したがって、日本人が原初から保有してきた神に対する信仰を語る場合、神道とか神社信仰という言葉は必ずしも適当ではない。また、神道という言葉はかなり宗教性を帯びてしまったが、日本人の神に対する信仰が果たして宗教なのかという疑問もある。日本人の信仰する神様がいわゆる全知全能の神でない以上尚更である。これが、本書で神祇信仰という言葉を使う理由である。
 実は、「神祇」の語源は古代中国の天神地祇である。古代中国では、天神は文字通り、天を司る神(昊天上帝=天帝=天の最高神、日月、星辰、風神、雨神、霊星など)であり、地祇は地を司る神(后土=大地の最高神、社稷―地霊と穀霊、山嶽の神、海の神、川沢の神など)であった。日本では本来の意味を改変し、天神は征服者である天つ神、地祇は被征服者である国つ神などとするが、現在では、広く「神々」という意味でも使われる。本書が使用するのはこの意味である。
 律令祭祀とは天武天皇の意志により六八九年制定の『飛鳥浄御原令』をもとにしてスタートした律令国家が行なった国家祭祀である。記紀神話とは、七一二年完成の『古事記』や七二〇年完成の『日本書紀』の神話である。律令国家が宮中で正式に祭った神々は三六座あった。『古事記』の神話には二六七神、『日本書紀』の神話には一八一神が登場する。記紀に共通する神々は一一二神である。
 全国に神社は約十一万社ある。年に一度も神社に参拝しない人を探すのは難しいほど神社は日本人に親しまれている。しかし、神社信仰のもとである古代神祇信仰がどのように成立したかは未だ解明されていない。たとえば、現在、神社に祭られている祭神には記紀神話に登場する神々が多い。しかし、十世紀に編纂された『延喜式神名帳』には式内社として二八六一の神社が掲載されているが、記紀神話に登場する神々はほとんど祭られていた形跡がない。それ以外の古代神祇信仰の対象である神々が祭られていたのである。

 それでは、古代神祇信仰とはどのようなもので、どのように成立したのであろうか。また、記紀神話はどのように成立し、古代神祇信仰とどのような関係にあるのだろうか。また、大嘗祭など天武天皇の時代にスタートした律令国家の祭祀は、これまで記紀神話と不可分の関係にあるとされてきたが果たしてそれは正しいのだろうか。このような神祇信仰や記紀神話や律令祭祀についての多くの謎は未だ解明されていない。それにはいくつかの理由がある。
 一つには、古代神祇信仰と記紀神話は形成のプロセスも性格も異なるのに、両者を区別せず同一視してきたことによる。一つには、戦前も戦後も古代神祇信仰に日本列島の外部からの影響があったことを認めることを拒んできたからである。一つには、記紀神話の形成のもとになった海人族などの神話や伝承のルーツが、太平洋諸島や大陸の遊牧騎馬民族や古代ギリシャの神話や伝承にあることが明らかになり、これを歴史学や比較神話学など一つの学問分野だけで解明することが困難になってきたからである。まさに、自然科学も含めた学際分野による共同研究が必要になってきているのである。また、一つには、律令国家の律令は唐から移入したものであり、律令祭祀も唐の祭祀に範をとったにもかかわらず、その解釈はナショナリズムにとらわれたものに終始してきたからである。古代中国の鬼神(死霊・祖霊)信仰や五行説や陵寝制度の思想を取り入れて解釈すれば合理的な解釈ができるのに、国内の論理にこだわり無理な解釈をしてきたのである。
 専門家による律令祭祀など特定の分野の研究には優れた業績が蓄積している。本書もそのような専門家の優れた業績があったからこそ執筆ができたことはいうまでもない。しかし、律令祭祀や記紀神話を含む古代神祇信仰成立のプロセスなどという広範囲のテーマの解明は、多くの異なる分野の専門家の共同による学際研究が実現すればともかく、一人の専門家が学術的に行なうことは不可能に近いことも事実である。学術的に行なうことが困難であるなら、次善の策として、筆者のような学界の外の人間が解明を試みることに意味があるかもしれないと考えた次第である。
 心掛けたことは、これまでの学界の研究成果と最新の情報にもとづくこと、論理性と整合性と科学的・客観的思考を重視することである。その上で、これまでの定説や通説にとらわれず、導かれる結論を大事にした。本書は古代神祇信仰の起源から成立までのプロセスの解明に正面から取り組んだ試みである。古代史の視点からの取り組みとしては、最初の試みかもしれない。できるだけ多くの読者の手に取って頂ければこんなにうれしいことはない。

 本書は次のように構成されている。
 第一部 神祇信仰の起源
 第二部 古代神祇信仰の形成
 第三部 記紀神話の形成     
 第四部 律令国家の成立と律令祭祀
 第五部 古代神祇信仰・記紀神話・律令祭祀の関係
 むすび
 エピローグ⑴ 仏教との出会い
      ⑵ 明治の受難

 第一部では、古代神祇信仰の起源は自然信仰とする歴史学の巨人・津田左右吉の見解と、祖霊信仰とする民俗学の巨人・柳田国男の見解を検証しながら、古代神祇信仰の起源を解明する。
 第二部では、古代神祇信仰は縄文時代以来の自然信仰を大きな柱とし、弥生時代に古代中国から朝鮮半島経由で伝来した鬼神(死霊・祖霊)信仰が加わって成立したという仮説を論証する。
 第三部では、天皇家による統治を正当化することを目的として制作されたといわれる記紀神話が、海人族や弥生渡来人の神話や伝承をもとにして作られていること、さらに、豪族や地方の信仰との整合性も考慮されていることを検証する。また、海人族の神話・伝承のルーツが中国・江南であるという新説をしりぞけて、インドネシア・フイリピン・南太平洋地域(旧スンダランド及び周辺地域)であることを論証する。さらに、記紀神話の中で最も重要な天孫降臨神話が北方遊牧騎馬民族の神話であることを検証する。
 第四部では、まず、律令祭祀の内容を『延喜式』にしたがって概観する。その上で、宮中で最も重要な神々が祭られているにもかかわらず、その意味が謎に包まれていた神祇官西院八神殿の意味を解明する。また、重要な祭祀である宮中鎮魂祭についても一二〇〇年間の定説をしりぞけて、より合理的な解釈を提示する。さらに、皇祖神アマテラス大神が伊勢に祭られた理由、伊勢神宮の外宮と内宮の意味を解明する。
 ただ、律令祭祀は重要ではあっても、読者によっては、専門的にすぎると思われるかもしれない。そのように感じられる場合は、第四部はとばしてお読みいただいても問題はない。
 第五部では、古代神祇信仰・記紀神話・律令祭祀の関係についての本書の見解をとりまとめる。その前に、従来、不可分の関係にあるとされてきた律令祭祀と記紀神話であるが、実際には、両者の間には関連がないことを解明する。また、律令祭祀の宮中の神々や記紀神話の複数名をもつ神々と古代神祇信仰の神々との関係を考察する。
 時系列的には、律令祭祀の制定の方が記紀神話の成立よりも二〇─三〇年早いが、本書での取り扱いの順序は、記紀神話を先にしている。それは、律令祭祀という国家祭祀の性格を明らかにするためには、記紀神話を先に考察した方がよいと考えたことよる。両者の記述の順序を逆にしたために、読者に混乱を与える面があるかもしれないが、ご理解をいただければ幸いである。
 かって津田左右吉は記紀神話の制作主体は皇室で、制作時期は六世紀と推定したが、その約五十年後に、哲学者の梅原 猛氏と上山春平氏は、神話を含む記紀の制作主体は藤原不比等、制作時期は八世紀であるとの見解を発表された。本書は両氏の見解に賛同する。したがって、律令祭祀の方が、二〇─三〇年、記紀神話に先立って制定されたという前提に立っている。
「むすび」は、本書のメイン・テーマの記述を終えるにあたっての結語である。
 エピローグ⑴では、筆者が日本での仏教の三大変容と考える神仏習合、日本浄土教の成立、死者供養・葬儀の開始を概括し、その変容が神祇信仰に大きな影響を及ぼしたことを検証する。また、死者供養・葬儀の開始は、神祇信仰が仏教にもたらした変容であることを検証する。
 エピローグ⑵では、明治初頭の神仏分離政策、国家神道政策の内容と神祇信仰への影響を概観する。また、明治三九年に始まった神社合祀政策が村落の神祇信仰に与えた大きな損害について述べる。

 本書では、「鬼神」が重要な意味をもつ。本書が重視する古代中国の古代宗教思想や祖先祭祀思想は鬼神信仰を基層においたものである。鬼神は、一般に仏教の影響で化け物や「へんげ」などと誤解されている面があるが、日本の辞書でも本来の意味は、「死者の霊魂」のことである。「荒ぶる祖霊」と表現する辞書もある。本書では、鬼神の意味を正確に表すために、できるかぎり「死霊・祖霊」という補足説明を加えることとする。言い換えると、鬼神信仰とは原始祖霊信仰のことである。
                                       








版元から一言

あとがき

 四年前に神祇信仰についての考察を始めた時、神祇信仰の起源から成立までの過程を、古代史の視点から体系的に論じた本を国会図書館などで探したが見つからなかった。このことは、我々日本人の殆んどが神社信仰の実体を知らずに神社に参拝し、古代史関係者の多くが古代人の心を知らずに古代史を研究し、神社関係者の多くが神祇信仰の起源を知らずに神を祭っている状況を反映しているのかもしれない、それなら、いつか自分が書いてみようと考えたのが、本書執筆のそもそもの動機である。
 なぜ、古代神祇信仰の考察をはじめたかについては、本書の冒頭で引用した、梅原猛氏が述べる「神の研究なくして、上古の日本人の精神の研究は不可能であり、従って、上古の日本人の歴史の研究も不可能である」と、思いを共有するからである。ただし、梅原氏が『神々の流竄』の中で述べたこの言葉が対象とする神はあくまで記紀神話の神々であるが、本書が対象とする神は、自然信仰と鬼神(死霊・祖霊)信仰を二つの核とする古代神祇信仰の神々が主役であり、記紀神話の神々と律令祭祀(宮中祭祀)の神々は脇役とするとの違いがある。なぜなら、筆者は、古代人の信仰の対象は自然発生的な古代神祇信仰の神々が中心であったと考えるからである。
 ちなみに、「神々の流竄」は、梅原氏が一九七〇年に雑誌『すばる』創刊号・第二号に発表した論文であり、のちに『神々の流竄』(一九八五年 集英社文庫)として出版された。論文の内容は、出雲神話はヤマトで起こった物語を出雲に仮託したものであると主張するものであったが、その後の出雲における相次ぐ考古学上の大発見によって論文の前提そのものが崩壊してしまった。梅原氏自身も潔く間違いであったことを認めている。しかし、現在、学界で定説となっている『日本書紀』の制作主体が藤原不比等であることを発見し、『日本書紀』研究史上初めての指摘をしたのは、梅原氏が四十年前に書いたこの論文である(その二年後に上山春平氏が『神々の体系』でフォローした)。その意味で、古代史研究者がその大きな貢献を決して忘れてはならない論文である。
 それはそれとして、本書執筆の背景には、神社に対する個人的な思いもあった。本書の執筆を始めた当時、筆者は、所属する[古代史教養講座]の“日本の神々”分科会のコーディネーターを務めていた。その分科会メンバーに「神社に対するスタンス」と題する次のようなメールを送ったことがある。

Re.神社に対するスタンス
 私は、神社に対するスタンスは個人個人の思想や信仰が異なるのと同様、基本的には個人的な問題であり、通常は、人に語るようなことではないと考えています。しかし、あえて、個人的な考えを述べるとすれば以下のようなことになると思います。
一.信仰の対象としての神社
 私は、神社は国民全体の財産であり、たいへん大事なものと考えています。しかし、神祇信仰を宗教とは考えていません。日本人の体に生まれながら身についている信仰と考えています。
 私は、神社に参拝する時、縄文時代以来の自然信仰や祖霊信仰によって形成された「神様」を拝みます。特定の神様を拝むわけではありません。現在の祭神(特に記紀の人格神)は種々の理由により後世勧請されたものが多く、私の信仰の対象としては関係がありません。
二.文化遺産としての神社
 私は神社は日本人にとって信仰の対象であることのほかに、日本人にとってかけがえのない文化遺産と考えています。しかしながら、現在、神社は神道関係の宗教法人の施設になっているので、国も地方自治体も国宝・重要文化財・地方自治体指定文化財を除いて神社の維持を支援することができません。このままでは、人口の現象や地方の過疎化によって維持できなくなる神社が増えて来ることは必至です。その意味で、出来るだけ多くの人々が神社に参拝することが大切だと考えています。また、神社関係者や氏子の方々の努力に期待しています。
三.自然遺産としての神社
 C・W・ニコルさんの言うように、日本の国は世界に類を見ない多様性に富んだ美しい森に恵まれており、日本の文化はこのような森にはぐくまれて築かれたと思っています。神社の森(鎮守の森)は神籬の延長であると共に、日本の美しい自然のシンボルでもあると考えています。これも、神社を守らなければならない重要な理由の一つと考えています。
四.古代史の研究対象としての神社
 記紀編纂時の大和王権と地方との関係、豪族の出自、海人族の足跡、渡来人や渡来文化の痕跡、歴史の表舞台から消された地方の英雄などを知るために、主祭殿のみならず、相殿、摂社、末社にどのような祭神が祭られているかを知ることが重要だと考えています。通常、記紀の人格神以外にどのような神が祭られているかが興味の対象です。

 本書は、二〇〇九年六月に[古代史教養講座]のゼミの百十四名の出席者の前で、それまでの考察結果をまとめる形で、「神祇信仰の歴史」と題して行なった発表が下敷きとなった。そして同年十一月に、歴史ある[邪馬台国の会]で発表の機会を頂いたことにより、考察をさらに深化させることができた。また、“日本の神々”分科会でコーディネーターを務めたことが、虎尾俊哉編『延喜式』(上)が座右の書の一つとなるきっかけを与えてくれた。[古代史教養講座]は六年前になくなられた故竹内裕先生が一九九五年に設立された古代史の勉強会である。竹内先生は七十歳の時に、あさ夫人に勧められて当講座をゼロからスタートし、七十六歳の時に『古代日本千年史』を上梓された。今回、本書を執筆してみて、先生の古代史への情熱に思いを致しあらためて圧倒される思いでいる。
 本書の執筆にあたっては、朝日カルチャーセンター横浜での山田宗睦先生の古代中国の墓制に関する充実した講義から多くの示唆をいただいた。二〇〇七年十月から翌年二月まで十回にわたる古代中国の漢墓と陵寝制度についての先生の熱心なご講義がなければ本書の内容は満足できるものにならなかった。この場を借りて心から感謝を申し上げる。また、安本美典先生からは、史観の相違にもかかわらず、先生が主宰されている[邪馬台国の会]で発表する機会を与えて頂いた。先生の寛大なご配慮と同会の内野勝弘会長のサポートに深くお礼を申し上げる。

 最近の古代史研究の特徴は、当講座の齊藤潔代表がホームページで述べるように、文献史学と考古学という歴史学の範囲に留まらず、民俗学・地理学・農学・遺伝子学・建築学・自然科学といった学際主義を重視して、多面的に歴史を解釈する方向に向かっていることである。当講座はそのような学際主義を重視して運営されている。筆者が当講座の会員でなければDNAとか栽培イネとかスンダランドなど多様な切り口をもった本書を執筆することは出来なかった。その意味でも、当講座の世話人と会員の皆様に深く感謝している。また、“日本の神々”分科会メンバーの方々が、早朝にもかかわらず、毎回、熱心に参加していただいたことは筆者の神祇信仰の考察に対する大きな励ましになっていたことを付記しておきたい。

 本書の構想について、彩流社の竹内淳夫社長に相談した際、「出版は引き受けましょう。頁数が増えることは心配せず、思う存分書いてください。ただし、一般の読者にも判りやすく、かつ、専門家の評価にも耐えうるものにしてください」との有難いご返事と難しい注文を同時に頂いた。はたして竹内社長のご期待に添えるものになったかどうか自信はないが、竹内社長のご快諾がなければ本書が世に出ることはなかった。衷心より感謝申し上げる次第である。

 最後に、連日、PCの前に座りキーボードを叩いていた筆者のわがままを、時折、文句を言いながらも許してくれたわが家の御食津大神にも内心手を合わせている次第である。

  二〇一〇年六月       籔田紘一郎

著者プロフィール

籔田 紘一郎(ヤブタコウイチロウ)

1942年、旧満州国鞍山市生まれ。滋賀県立虎姫高校卒業。
1964年、京都大学法学部卒。同年、三菱商事(株)入社。主にアジア、北中南米、中東とのビジネスに従事し、
同社取締役、サウデイ石油化学(株)常務取締役などを経て、2002年2月、退職。
2002年7月、「古代史教養講座」入会。現在、同会理事・世話人。同会“日本の神々”分科会コーディネーター
2003年3月-2006年2月 (特活)人道目的の地雷除去支援の会 シニア・アドバイザー。
日本考古学協会会員。横浜市在住。
著書に『ヤマト王権の誕生 弥生終末大変動と王権の出自』(彩流社、2007年)がある。

目次

はじめに 3

  第一部 神祇信仰の起源
第一章 津田左右吉は「自然信仰」と言う 22
 一.津田左右吉の見解を要約する 23
 二.自然神を祀った式内社 29
 三.津田左右吉の見解に対する所感 33
 [コラム1 日本の自然と自然崇拝] 37
第二章 柳田国男は「祖霊信仰」と言う 40
 一.柳田国男の見解を要約する 42
 二.その後の民俗学の見解 45
 三.柳田国男の見解に対する所感 46
 [コラム2 神社の起源] 51

  第二部 古代神祇信仰の形成
第一章 古代中国における鬼神信仰 58
 一.古代中国の祖先祭祀の始まり 58
 二.五行思想とのかかわり 60
 三.儒教の古層 62
 四.道教の古層 66
 [コラム3 『史記』にみる鬼神祭祀] 69
第二章 朝鮮半島における鬼神信仰 70
 一.高句麗 70
 二.馬韓・弁韓・辰韓 72
第三章 日本列島への鬼神信仰の伝来 78
 一.中世村落における神祇信仰――権社神と実社神 80
 二.弥生時代のこん跡――対馬の天道祭祀 85
 三.古墳時代以降の鬼神信仰――原始稲荷信仰 92
 [コラム4 卑弥呼の鬼道とは何か] 105
第四章 古代神祇信仰形成のプロセス 108

  第三部 記紀神話の形成 
第一章 記紀神話の神々と伝承地 121
第二章 海人族の神話のルーツー旧スンダランドか中国江南か 129
第三章 DNAからみた海人族のルーツ 136
 一.スンダランド 137
 二.黒潮圏の先史文化の移動 140
 三.DNAからみた海人族のルーツ 142
 [コラム5 ポリネシア語と縄文語] 151
第四章 稲作の起源――神話伝来との関連において 154
 一.熱帯ジャポニカのルーツと伝播経路 154
 二.旧スンダランドの人々 156
 三.稲作インドネシア・フイリピン起源説の衝撃 158
 [コラム6 オオゲツヒメ神話] 162
第五章 弥生渡来人の神話の伝来 164
 一.弥生人の渡来と二重構造論 164
 二.弥生時代の定義と開始時期についての主な見解 166
 三.弥生人の渡来数 167
 四.渡来弥生人の神話の伝来 168
第六章 天孫降臨神話の伝来 170
 一.天孫降臨神話の骨格 170
 二.皇祖神の並立――タカミムスヒとアマテラス 172
 三.溝口睦子著『王権神話の二元構造』の謎解き 175
 四.溝口睦子説への所感 186
第七章 記紀神話形成のプロセス 197

  第四部 律令国家の成立と律令祭祀
第一章 律令国家の成立 207
第二章 律令祭祀 211
 一.日本・中国・新羅の律令祭祀の比較 211
 二.律令祭祀の目的 217
 三.宮中で祭られる神々 219
 四.律令祭祀の内容 225
 五.律令祭祀の最高神、カムロギ・カムロミ 231
 [コラム7 幣帛・奉幣・班幣・朔幣・名神大社について] 238
第三章 鎮魂祭の謎を解明する 240
 一.神祇官西院八神殿と神祇官八神の意味を解明する 242
 二.鎮魂祭の本来の目的 249
 三.鎮魂祭の目的の改変 252
 四.新嘗祭との関係 254
 五.学界唯一の祖神祭祀説 259
 [コラム8 国内神名帳] 262
第四章 天照大神はなぜ伊勢に祭られたか 264
 一.内宮の創建は六九八年 267
 二.アマテラスが伊勢に祭られた理由 271
 三.外宮とは何か 277

  第五部 古代神祇信仰・記紀神話・律令祭祀の関係
第一章 律令祭祀と記紀神話は無関係である 287
 一.大嘗祭と天孫降臨神話の無関係 288
 二.鎮魂祭と天岩戸神話の無関係 293
第二章 古代神祇信仰の神々との関係 297
 一.律令祭祀の宮中の神々 297
 二.記紀神話の複数名を持つ神々 300

むすび 305

エピローグ 315
 一.仏教との出会い 316
  (一)神仏習合 317
  (二)日本浄土教の成立 320
  (三)仏教による死者供養・葬儀の開始 328
 二.明治の受難 333
  (一)神仏分離 334
  (二)国家神道 337
  (三)神社合祀 340

あとがき 349

参考文献 355

関連書

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