「日韓併合」から100年・・・知られざる日韓の歴史的相克をリアルに描く歴史ノンフィクションの超大作!
「征韓論」から植民地支配へ──── 江戸時代の日朝友好関係が不幸な歴史に暗転する大きな流れを分かり易く伝える。
「わたしは、触れられることの少なかった明治後の時代を、わかりやすく描くことはできないだろうか、と考えていました。この時代の日朝関係がただでさえ複雑なことに加えて、政治的にも思想信条の問題としても難しい問題が絡んでくるので、一般にはわかりにくかったに相違ありません。本書では、史実を踏まえたうえで、主要な人物たちの挙動や肉声を、わたしなりに想像をたくましくして、より具体的なイメージをつくりあげていこうと配慮しました。この百年を見つめながらです。いってみれば、小説的であり物語風の読みもの二部作ということになります。」(「まえがき」より)
新しい百年に向けて──あとがき
ソウル・オリンピックが開かれたとき、韓国の選手たちは口をそろえて、他の国には負けてもいいが、日本にだけは絶対に負けたくないと言いました。このことばの深い意味を正しく理解できた日本人は少なかったでしょう。
ワールドカップ・サッカーのアジア予選が行なわれたときも、韓国の選手たちは、日本チームだけを眼のかたきにしました。そして日本チームに勝つと、韓国の選手たちは、手の舞い足の踏みどころもないほどの欣喜雀躍をかくしませんでした。韓国の応援団の人びとも同様です。その狂喜のうらにかくれた深い意味を、正確に理解できた日本人も少なかったに相違ありません。
また韓国の世論調査で、もっとも嫌いな外国人はという問いに対して、日本人という答えがでています。なぜでしょうか?……。この韓国人の国民感情の底にあるものを知る日本人も、決して多いとは云えないのではないでしょうか?──。
わたしはかって、日本と韓国・朝鮮に関わる歴史を五部作に書きわけました。白村江のたたかいを中心に高句麗・百済・新羅の朝鮮三国時代、蒙古襲来におびやかされた高麗時代、朝鮮独特の文化を確立した世宗大王の李朝時代初期、日本側で「文禄・慶長の役」、韓国・朝鮮で〈壬辰・丁酉倭乱〉と呼ぶ豊臣秀吉の朝鮮侵略を軸に李朝時代中期、そして善隣友好のあかしでもある〈朝鮮通信使〉を題材に李朝時代後期を描きました。これで、両国の千二百年にわたる歴史的な関係を断片的ですが平易に物語ったつもりです。事実、日本と朝鮮の関わりがよくわかるという大方の好評を得ました。わたしはここまでで終止符をうつべきであったかも知れません。
なぜならば、朝鮮側の李朝末期、日本側の明治維新後の両国の関係は、いわゆる近現代史と分類され、日本人が触れることがタブー視されていたからです。ある意味では、戦中はもちろん、敗戦後六十五年を経たこんにちでもそうであるといっていいでしょう。この時代に、日本という国と日本人が、韓国・朝鮮で一体なにをやったかということが明らかになってしまうからです。大仰にいえば、国が口を閉ざしていることを、わたしが勝手にぶちまけてしまう結果になるかも知れないからでした。
しかしこの部分を明らかにしない限り、冒頭に述べた韓国人の国民感情の底にあるものは理解できない……少なくもわたしはそのように認識し、そのことで気負いたちました。日韓関係史の一部を紹介した者として、逃れることは許されない一種の責任さえ感じたわけです。それがあらためて近現代史に取り組んだ動機になっています。したがって調査には、慎重のうえにも慎重を期しました。
歴史を公平にみる──これはわたしの持論です。だがそれがいかにむずかしいかも、充分に承知しています。そこで本書も前五作と同様に、歴史的事実を並べ、多少の肉付けを加えることにのみ終始しました。それでもなおかつ方角ちがいに筆がすべったとしたら、それはわたしの力不足であり、ご海容いただかなければならないでしょう。
ここで、本書の生い立ちについて触れておきたいと思います。最初は総合月刊誌『知識』に二年八カ月にわたって連載いたしました。雑誌連載中には、当時存命だった在日韓国人の碩学・辛基秀先生や韓国在住の友人・安玲二氏、日韓ジャーナリスト・多田則明氏などから、多大なご教示、ご指導を賜りました。とくに安玲二氏は韓国側の史料を提供してくれ、さらに難解きわまる朝鮮漢文やハングルを読みくだしてくれました。ハングルによる地名や人名の読み方は「ジ」より「ヂ」のほうが実際の発音に近いと教えてくれたのも、この友人です。
その後、連載を単行本に一冊にまとめるという話になりました。ただし本づくりの事情から、大幅に削減しなければなりませんでした。舌足らずになりますが、それも仕方がありません。それが旧著『李朝滅亡』(新潮社=絶版)です。文庫本にまでなった“朝鮮もの”であったことは事実です。
その旧著を「日韓併合」百年を機に、新装版といたすことになりました。分量は旧著の二倍近くになっているはずです。それが『李朝滅亡─自主の邦への幻影と蹉跌─』と『日韓併合─李朝滅亡・抵抗の記憶と光復─』の二部作です。そのために、彩流社社長・竹内淳夫氏と編集ジャーナリストの赤羽高樹氏、デザイナーの田中等氏に格別のご助力をいただきました。あらためて、御礼を申し上げます。この方々のご協力がなかったら、本書がふたたび世に送り出されることはなかったでしょう。
なお書名については、「日韓併合」と「韓国併合」の二通りの表現が常用されていると広辞苑にもありますが、前者は日本の植民地支配を明確にした文言だとしても、後者は主語が無いにも等しく、その本質をおおい隠すことになりかねないと考え、大日本帝国が大韓帝国を強制的に併合したという意味を込めて、「日韓併合」のほうを採りました。
二作をまとめ終わってからわたしは、韓国の友人と連れ立って、韓国忠清南道天原郡木川面にある〈独立記念館〉に出掛けました。すでに数回目になります。そこは広大な敷地のなかに建つ壮大な歴史記念館です。とくに、日本の植民地時代の記録がなまなましい。そして幾度行っても息苦しいまでに多くのことを語りかけてくるのです。それは、わたしの著作などとはとても比べものになりません。わたしはそこで、日本人ならせめて一度はここに赴き、展示物を直視し、歴史を再認識すべきではないかとあらためて思いました。韓国・朝鮮人の心がここに凝縮していると気付いたからです。さらには、新しい百年に向かう将来の日韓・日朝関係の原点が、ここに充満していると痛感したからに他なりません。
二〇一〇(平成二二)年六月 著 者
(社)日本図書館協会 選定図書
かたの つぎお
昭和10年生まれ。民族学的な見地から僻村の取材を行なうかたわら、李氏朝鮮を中心に歴史研究を続ける。著書に『戦乱三国のコリア史』、『善隣友好のコリア史』(彩流社)、『李朝滅亡』(新潮社)、『世界歴史紀行「韓国」』(読売新聞社)、『日帝三十六年の顔』(韓国ソウル・宝石出版)など多数がある。
この百年を見つめて──まえがき 1
第一章 朝鮮開国
日本海軍軍艦「雲揚」発砲す 14
吹き荒れる洋擾の嵐──江華島事件への歩み 32
李王朝骨肉のあらそい──大院君と閔妃 50
朝鮮は自主の邦なり──日朝修好条規 73
出兵へのかけひき──壬午軍乱 89
開化派と守旧派──政争の構図 105
開化への死闘──甲申政変 123
第二章 李王朝の内紛
外交という名の戦い──天津条約 140
清国軍、日本軍出兵す──甲午農民戦争 160
日清戦争勃発──豊島沖海戦 181
「朕の戦争に非ず……」──黄海海戦 200
勝者と敗者の苦悩──下関条約 221
閔妃暗殺 246
大韓帝国の誕生──日露戦争への期待 270
第三章 大国のはざまで
植民地化への足がかり──日韓議定書 292
日露戦争──にがい勝利 329
大韓国は日本の保護国なり──第二次日韓協約 360
慟哭の日──乙巳五賊と憤死者たち 383
高宗最後の抵抗──ハーグ密使事件 404
※朝鮮族、東北三省と日本
1949年以降、中国で少数民族政策が実施される過程において、中国東方区部に居住する朝鮮人に与えられた少数民族としての名称。総数は192万3842人で、そのうち92%が東北三省(吉林省、黒龍江省、遼寧省)に居住している。現在は、グローバル化が進み国内外への移動が著しくなっている。
東北三省は、日本の歴史とも深い関わりがある。「日本帝国」の象徴たる「満州国」の建国と崩壊の舞台となった地域である。中国の歴史で否定される「満州国」は、その歴史的評価の是非に拘わらず、当地で生活を営んだ人々の記憶のなかに深く刻まれている。
日本では「引き揚げ」や「残留孤児」の問題に繋がる開拓移民の経験として、あるいは満州での暮らしに思いを馳せる帰国者の帰国として語られることが少なくない。
(社)日本図書館協会 選定図書 歴史的に日本と関係が深い東北アジアの朝鮮族の移動とネットワークを、フィールド調査をもとに壮大なスケールで実証。そのネットワーク形成のダイナミズムから、平和構築に不可欠な要件を提示する。若手気鋭の研究者の著書
タグ: 韓国・朝鮮史
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