その草創期をめぐって日本赤軍とは何だったのか

日本赤軍とは何だったのか その草創期をめぐって

和光 晴生 著
四六判 / 271ページ / 並製
定価:2,000円 + 税
ISBN978-4-7791-1478-6 C0036
奥付の初版発行年月:2010年05月 / 書店発売日:2010年05月21日
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内容紹介

パレスチナと共に生きた著者が、初めて日本赤軍の内部事情を語る。最後に語られる、あの時代……。 『1968』の著者小熊英二に問いかける、人は「現代的不幸」の故にのみ闘いに立つのだろうか……。
「小熊さんが『1968』下巻の末尾で言及していた、1975年公開のジャック・ニコルソン主演映画「カッコーの巣の上で」(英語の原題は「カッコーの巣から抜け出た者」と訳せたと思う)は、私が日本赤軍からの脱盟を決意した頃に、ベイルートの映画館で観ていた作品であることを打ち明けておこう。精神病院の患者たちの目線から作られた秀作だった。カッコーは他の鳥の巣に自分の卵を産みつけ、育ててもらう「托卵(たくらん)」を行なう習性があり、自ら子育てのための巣を作ることはない。「カッコーの巣」は虚構・擬制を暗喩している。
 日本赤軍は「カッコーの巣」だったのだろうか?
 「近代的不幸」であれ、「現代的不幸」であれ、「不幸」のパラダイムに立つ限り、「カッコーの巣」から抜け出ることはできない。」(本書「人はなぜ闘争に立つのか」より)

著者プロフィール

和光 晴生(ワコウ ハルオ)

わこう はるお
1948年、宮城県生まれ。
1968年、慶応大学入学直後から全共闘運動に身を投じ、2年で除籍。アルバイト生活を経て、若松孝二監督の若松プロで演出助手となる。
1973年9月、アラブに渡り、PFLPの海外作戦部門に所属。のち、日本赤軍発足に参加。78年末、日本赤軍に脱退届を提出(正式脱退は3年後)。
レバノン南部前線でコマンドとなる。1997年2月、レバノン・ベイルートで日本赤軍メンバー4名とともに3年間服役。
2000年、日本に強制送還。フランス大使館占拠(1974年、ハーグ)、アメリカ大使館領事部・スウェーデン大使館占拠(1975年・マレーシア)両事件における逮捕監禁、殺人未遂で起訴。
2009年11月、最高裁で無期懲役が確定。
著書に『赤い春―私はパレスチナ・コマンドだった』(集英社インターナショナル)がある。

目次

日本赤軍とは何だったのか
  1 日本赤軍の「解散宣言」をめぐって              
「京都パルチザン」が「リッダ闘争」を担った主体である 
重信房子さんの出産をめぐって 
アラブに結集した人たちの実態 
若松プロ「赤軍―PFLP・世界戦争宣言」と私の出国 
共産同赤軍派・連合赤軍・日本赤軍は、全共闘運動主体の寄せ場だった、ほか 
  2 日本赤軍の草創期について                  
シンガポール・クウェート連続闘争 
アデンでの訓練 
ヨーロッパでの調査・工作へ 
在ハーグ・フランス大使館占拠闘争 
日本赤軍の創立、ほか 
  3 思想闘争の持ち込みとは何だったのか             
重信さん、「北の国」へ 
「クアラルンプール作戦」へ 
一九七七年「五・三〇声明」をめぐる欺瞞
ヨルダンでの敗北 
ダッカ・ハイジャック作戦へ、ほか
  4 日本赤軍を脱退した理由                    
私が日本赤軍を脱退した経緯 
査 問 
「脱退」成立 
日本赤軍の解散をめぐって 
何から始めるか、ほか 
  5 『日本赤軍私史―パレスチナと共に』について          
パレスチナ難民キャンプの住民たちは日本赤軍をどのように見ていたのか 
日本赤軍はPLOとどのような関係にあったのか 
裁判闘争にもパラダイム・チェンジを 
八〇年代の日本赤軍とPFLPとの関係の実情、ほか
  6 人はなぜ闘争に立つのか             
  『1968』(小熊英二著)を糾す 
「七〇年代のパラダイム転換」とは何だったのか 
「同感力」・「共感力」 
  資料・上告棄却決定に対する和光晴生異議申立書(平成二一年一〇月三〇日)

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