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労働者として長年労働運動に携わってきた自らの体験に根ざし、小林多喜二作品のとりわけ“たたかい”の場面の破綻ぶりを徹底追求。宮本百合子ほか、すぐれたプロレタリア文学作品を紹介しながら、多喜二文学を再評価し、その再考をうながす力作。
1928年樺太に生まれる。高小卒業後樺太の炭鉱で働き、敗戦により引き揚げる。1951年北海道三井芦別炭鉱に就職、1962年まで坑内夫として働く。1962年上京。22年間自動車のエンジン工場で労働者として働く。炭鉱時代より労働運動に携わる。年刊誌『労働者』(2005年で35号)発行人。国分寺市在住。
著書に『地球ふた回り八万九千キロの船旅』(技術と人間、2005年)『滅び行く炭鉱の記録』(新風舎、2005年)『北朝鮮の旅—届かない心』(技術と人間、1997年)『崩壊する自動車工場』(技術と人間、1992年)『待つ、旅—シベリア鉄道に乗る』(西田書店、1992年)
がある。
序 章︱︱文学の受容の現状
文学とは
〈文学〉の弱体化
Ⅰ 〈文学〉の弱体化
人文科学の危機——イーグルトン
〈理論〉の存在論的な位相
〈世俗化現象〉と〈理論〉の隆盛
Ⅱ 欧米圏外からの発言
ポストコロニアリズムの意味するもの
文化圏の対立——言語相からのアプローチ——エドワード・サイード
Ⅲ 作品の創造に作者はどう関わるか
ペルソナの喪失——ジェイムズ・ジョイス
作品の非個性理論——エリオットとルイス
〈苦悩する人間〉と〈創造する精神〉——非個性理論への反撃——ヘイスティングズとオッジク
Ⅳ 文学言語と他の言説の差異
文学言語
〈詩〉の言語の生成とその〈様態〉——ジョン・シルキン
——「聖なるものと想像力の構造関係—ホプキンズとホイットマン」
〈小説〉言語の生成——作品を〈文学〉にする修辞——グレアム・グリーン『ブライトン・ロック』
隠喩としての文学と聖書——ノースロプ・フライ
隠喩と換喩のせめぎ合い——スーザン・ハンデルマン
語りの解釈——フランク・カーモード
主イエスよ、来たりませ——ウォルター・オング
終 章 文学復権への道………………………………………………………………………………
補 論——幾つかの作品の読みを巡って……………………………………………………………
一 シルキンの詩「息子の死」
二 ジュール・ラフォルグ「簡単な臨終」
三 フロベール『ボヴァリ夫人』
四 ウィルキー・コリンズの代表作『白衣の女』
五 フォード・マドックス・フォード『かくも悲しい話を……』(『善良なる兵士』)
六 遠藤周作『沈黙』
七 小川国夫『或る聖書』と「天の王国」
八 小川洋子『博士の愛した数式』
九 ミュリエル・スパーク『マンデルバウム・ゲイト』
用語集
関係人物資料 ●〈文学〉の弱体化(作品の劣性と読者の消極的反応)に関しては、事はすべて〈人文科学〉という発想から出現したかに見える。だがこれは病状の原因の一半でしかない。むしろ問題の本質は、一般読者のみならず、文学の専門家も本格的な文学作品を読まなくなったという憂うべき情況が見られるということ。
●わが国でいわゆる〈文学部〉が廃止され、それに変わるものとして、〈人文学部〉〈人文学科〉が生まれてきた。それによって文学が再生するどころか、それは無化の方向に向かっていった。のみならずせっかくの〈人文学〉も確固たる内容をうち立てることはできず、既成の学問分野の恣意的な混交に留まり、実質的な成果は皆無と言ってよいほどである。
●今回の箇々の言説はかなり前から漠然とながらばらばらに用意されてきたものである。「文学の終焉は近づきたり」と叫ぶように言っているヒリス・ミラーの新著に出会い、またそのずっとまえに訳出したオールターの著作に刺激された。そのまえにエリオットに長く付き合い、カーモードを論じ、またサイードやハンデルマン、そしてブルームなどの代表的著作を訳出したり、フライの三部作の大著に親しみ、その一つを訳出したりしていた。それらの作業によって私の心に沈潜していたものを掘り起こして書いた。(「序章」より) 文学を“殺した”のは何か!? 世界の作家・批評家の言辞を通して〈文学〉の弱体化をもたらした要因を問い、文学の本質を再確認するとともに、文学言語の必要性とその復権への可能性を探る。(2006.9)
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