今なぜ〈60安保〉か? 条約改定反対の主張を最後まで貫き通した一地方紙の記者たちの葛藤を描くセミ・ドキュメント!全学連の国会突入の混乱の中で、「議会主義を守れ」という在京新聞の「七社共同宣言」は、ジャーナリズムの歴史的な犯罪行為ではなかったのか? 今、その歴史の重みを振り返る。
小林金三
1941(昭和16)年、満洲国立建国大学入学。
1943(昭和18)年、同大学経済学科2年を修了し、学徒出陣。
1946(昭和21)年8月、北海道新聞社入社。主として政経部、論説勤務を経て論説主幹。
1983(昭和58)年退社。
(著書)
『ベトナム日記』(理論社)
『画集・小樽 街と家並み』(私家版)
『画集・手稲その自然』(私家版)
『木鶏の記』(北海道新聞社)
『白塔—満洲国建国大学』(新人物往来社)
『小ば金—冬青山房雑記』(新人物往来社)など。
(著書)
『ベトナム日記』(理論社)
『画集・小樽 街と家並み』(私家版)
『画集・手稲その自然』(私家版)
『木鶏の記』(北海道新聞社)
『白塔—満洲国建国大学』(新人物往来社)
『小ば金—冬青山房雑記』(新人物往来社)など。 彩流社 ★「…北海新報は東海、九州地区の新聞とともに三ブロック紙といわれ、やがて百万部を超える発行部数を誇ることになる。占領軍による組合退治によって大量の解雇を余儀なくされた北海新報は、敗戦の翌年の夏、初めて記者の公募に踏みきり、札幌と東京で募集してそれぞれ十名ずつ新規に採用した。以後全国から人材が集まったが、とりわけ六〇年安保闘争時における論調が全国的に評判になってからは、北海道出身者を上廻る優秀な若者が本州各地から集まるようになった。」(本書「1960年6月15日」より)」 今なぜ〈60安保〉か? 条約改定反対の主張を最後まで貫き通した一地方紙の記者たちの葛藤を描くセミ・ドキュメント!全学連の国会突入の混乱の中で、「議会主義を守れ」という在京新聞の「七社共同宣言」は、ジャーナリズムの歴史的な犯罪行為ではなかったのか? 今、その歴史の重みを振り返る。
トラックバックURI
コメント / トラックバックはありません |コメントを見る/コメントする
コメントをどうぞ