李朝滅亡・抵抗の記憶と光復日韓併合

日韓併合 李朝滅亡・抵抗の記憶と光復

片野 次雄 著
四六判 / 366ページ / 上製
定価:3,500円 + 税
ISBN978-4-7791-1559-2 C0022
奥付の初版発行年月:2010年08月 / 書店発売日:2010年08月02日
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内容紹介

「日韓併合」から100年・・・錯綜する動乱期を描く歴史ノンフィクションの超大作! 甦る百年の記憶!
「わたしは、触れられることの少なかった明治後の時代を、わかりやすく描くことはできないだろうか、と考えていました。この時代の日朝関係がただでさえ複雑なことに加えて、政治的にも思想信条の問題としても難しい問題が絡んでくるので、一般にはわかりにくかったに相違ありません。本書では、史実を踏まえたうえで、主要な人物たちの挙動や肉声を、わたしなりに想像をたくましくして、より具体的なイメージをつくりあげていこうと配慮しました。この百年を見つめながらです。いってみれば、小説的であり物語風の読みもの二部作ということになります。」(李朝滅亡の「はじめに」より)

前書きなど

はじめに


 本書は『李朝滅亡─自主の邦への幻影と蹉跌─』の姉妹篇である。
 李氏朝鮮王国が大韓帝国に国号を変え、高宗から純宗へ代がわりし、日本支配が深まる朝鮮半島が、本書の舞台になっている。
 その前史については『李朝滅亡』を参照いただきたいが、「日韓併合」にいたるには、開国を強要し、自主の邦を標榜させて清国との離反を画策し、内紛に乗じて日清・日露の戦争を起こして、朝鮮を従属下におこうとする日本の周到な植民地化政策があった。
 読者は、前史を引き継いで、抗日の義兵と義挙、大衆運動と国際ネットワークがたゆまなく敢行、形成され、ついに「日帝三十六年」に終止符を打つ光復の日を迎えるまでの歩みを、本書で実感されるであろう。
 「日韓併合」百年を踏まえ、新しい百年を考えるために本書を世におくる。

版元から一言

解説────一九一〇年の転轍
                             河田 宏   

 本書で、李王朝最後の純宗皇帝が日本への併合を大韓国民に告げる勅諭を初めて読んだ(『日韓併合』九一頁参照)。既視感のある勅諭である。昭和二〇(一九四五)年八月十五日に昭和天皇が日本国民に告げた終戦の詔書に似ている。末尾の「……爾臣民朕カ意ヲ体セヨ」まで似ている。ことの経緯に違いはあれ、どちらも亡国を告げる詔書なのだ。一九一〇(明治四三)年に大韓帝国は滅亡し、その三十五年後に大日本帝国は滅亡した。違うのはその後の国民の姿勢である。日本の敗戦後はひとまず擱く。韓国では亡国から光復(独立)するまで、三十六年間も独立運動が続いた。李朝時代の斥倭(日本排斥)運動を加えると、七十年にわたる日本への抵抗である。韓国・朝鮮近現代史は日本抗争史でもあるのだ。

 本書『日韓併合』の前史を成す姉妹篇『李朝滅亡』は一八七五(明治八)年五月に日本の軍艦「雲揚」が釜山に現われるところから始まる。日本は明治新政府を樹立するとすぐに、朝鮮政府にそれを通告すると同時に従来通りの国交を続けたいという国書を、天皇の名で送った。しかるに、いっこうに返答がないので恫喝するためであった。朝鮮側は返答しなかったわけではない。国書の訂正を求めていたのだ。理由は同書に詳しい(十三頁以下参照)。書契問題という。
 「取易き朝鮮、満洲、支那を切り随え日本を豊かにして……」
 吉田松陰「幽囚録」のこの言葉は、幕末に維新を考えた者に共通する理念であった。明治になる十年まえに日本が開国したとき、列強とまことに不平等な条約を結んでいた。世界は帝国主義全盛の時代であり、日本は国土こそ失わはなかったが経済的収奪の対象にされたのである。この条約で日本の失ったものは大きい。それを補い、日本を強国にするためには「取易き朝鮮」を得るというのは、明治政府の創設者にとって既定の方針であった。まだ日本国内が統一されていない時期である。彼らの意識を外征に向ける効果もあった。征韓論である。

 当時の朝鮮は頑なに鎖国を守り続けていた。李王朝二十六代国王の高宗は若年なので、父・李昰應が執政となり、大院君と称して統治していた。彼は李王朝末期の政治的腐敗を糺し、民生をあるていど安定させていた。しかし徹底した攘夷論者であった。日本の国書が届くまえにはキリスト教を弾圧し、仏、米の侵寇を撃退している。そして、外国と和することは国を売ることだという「斥和碑」を国中に建立していた。
 これほど頑なな大院君も、儒者の弾劾と閔妃(明成皇后)一族との権力争いで一八七三年に失脚した。そこを狙って「雲揚」が釜山に現われ示威行動をしたのである。このときは港内を回遊し威嚇の号砲を放っただけで引き揚げたが、四カ月後に今度は江華島に現われた。漢城(ソウル)防衛の要衝である。七十二門から百門を超える守備砲台があり、フランス艦隊もアメリカ艦隊を撃退していた。「雲揚」は草芝鎮砲台を砲戦によって破壊すると、南隣の永宗島に上陸。地上戦で朝鮮軍守備隊に多大な損害を与えた。そして、この事件の責任は朝鮮側にあると称して、黒田清隆と井上馨という明治政府の重鎮が六隻の軍艦を従えて江華島に行き、開国を迫った。二十年まえに日本開国を迫ったペリーの方法を踏襲しているようである。
 このとき結ばれた江華条約(日朝修好条規)は、日本が被害を被っている不平等条約以上に不平等な条約であった。治外法権はもちろん、日本外交官の朝鮮国内通行は自由とし、貿易は無関税である。そのうえ、日本貨幣の流通も可能にしていた。これでまず、第一銀行が釜山に支店を設け、朝鮮産出の金を買収した。これこそ、日本が不平等条約で失ったものを補うためであった。日清戦争直前までの日本の金輸入量の六八%が朝鮮からである。
 もっとも欲しかったのは米であった。瑞穂の国・日本はかろうじて米を自給できたが、凶作となるとたちまち飢饉に陥ってしまう。近くは天保の大飢饉があった。日本と同質の米を産する朝鮮をどうしても確保しておきたいのである。米価も日本の三分の一と安い。このため、開国によって朝鮮に渡った日本人はほとんど米の買占めに奔走する。明治政府もそれを奨励した。日本人があまり米を買い漁るので、朝鮮政府は防穀令を出したほどである。朝鮮だって米が余っているわけではないのだ。

 この時期、朝鮮を狙っていたのは日本だけではない。日朝修好条規が結ばれると、欧米列強が次々に参入してきた。清国も旧来の宗主国として鷹揚にかまえてはいなかった。清国自体が阿片戦争に続くアロー戦争(第二次阿片戦争)で植民地化されていたときである。いわば、朝鮮を植民地の植民地にしようとしていた。
 こうした外国勢力に対応する朝鮮政府はあまりに稚拙であった。いや、対応能力がなかったとしかいいようがない。閔氏一族の勢道政治は、自分たちの利益と保身しか考えていなかったといっても過言ではないだろう。外憂だけではない。勢道政治の弊害は地方官吏にまでおよび、民衆はいわゆる貪官汚吏の収奪にあえいでいた。
 この危機的状況に対応したのは儒生(官職についていない儒者、両班)であり、近代的知識を身につけて政治を刷新しようとした開化派の知識人であろう。そして悪政にもっとも苦しんでいた農民であった。しかし、儒生たちは国王に上疏するぐらいしかしないし、開化派は日本を頼りに勢道政治を倒そうとしたが失敗し、首謀者は日本とアメリカに亡命してしまった。その一人、金玉均は殺害されてしまう。甲申政変という。朝鮮の大地に根を張って起ち上がったのは農民であった。東学農民軍という。最近は韓国史学界で東学農民革命という評価が定着しつつある。

 十九世紀の朝鮮は民乱の時代といわれるほど各地で民乱が頻発していた。有名な一八一二年の洪景来の反乱をはじめ四十をこえる農民蜂起があった。特に世紀末に集中している。なかでも、一八九四年におこった東学農民の蜂起は最大規模であった。
 東学とは十九世紀中葉におこった民間信仰である。崔済愚という没落両班が朝鮮全土を放浪しながら儒、仏、仙の修行を重ねて、済世救民のこの教義を得た。すべての人は自分のなかに天を持っているという平等思想と、「輔国安民」の愛国精神。そして近い将来に地上楽園が実現するというユートピア思想である。儒学を国是とする朝鮮王国は、東学を異端として禁じ、教祖を処刑したが、二代目教主の崔時亨が教義を体系化して普及に努めた。その結果、朝鮮人口の半数を占める全羅、慶尚、忠清の三南地方に普及すると、またたくまに朝鮮八道に広まった。これほど急速に普及したのは、根深い土俗的な民間信仰的な要素が濃厚だったからであろう。さらにいえばきわめて朝鮮的な信仰だからである。
 朝鮮的とは、長い歴史のなかで自然に培われたもろもろの特性といったらよいであろうか──。朝日が鮮やかな地を意味する朝鮮の名は紀元前からあったようだが、国名になったのは高麗の将軍・李成桂が高麗王朝を倒して、一三九二年に李王朝を樹立し、国号を朝鮮としてからである。それから五百年も続いているこの王朝は儒教を国是とし、清国を宗主国とあおぐきわめて守旧的な国であったが、それでも長い年月の間に朝鮮固有の文化と産業が発達した。ハングル文字の創製や世界で最初の金属活字が作られ、朝鮮の風土に適した独自の農法も確立した。教条的になりがちな、いや教条化していった儒学では朝鮮実学がおこる。
 朝鮮実学を集大成した茶山丁若鏞は五百巻をこえる著作を残しているが、そのなかには土木工学から農書もふくまれており、さらに土地制度改革も考えていた。許浚は有名な『東医宝鑑』を完成する。朝鮮的な文化が実った時代といえよう。民衆生活においても、食生活から生活規範まで朝鮮的なもろもろのものが熟成してきた。朝鮮王朝が倫理規範とした儒教道徳が浸透してきたとはいえ、民衆の心の支えとなったのは土俗的な民間信仰であった。儒教に、高麗時代から続く仏教、それにもっと古くから続く土俗信仰が混交した、きわめて朝鮮的なものが根付いた。
 例えば「四柱八字」である。「四柱」は日本の四柱推命、生年月日と時間をいう。「八字」は干支を表わす朝鮮の八文字で運命を意味する。いまでも、年輩の人はつらいことがあると「パルチャだ」というが、これは運命に甘んじるということではない。運命を切り拓くという生のエネルギーをいうのだ。十九世紀末、東学農民軍に結集した十万とも数十万ともいわれる農民と賤民(朝鮮王朝末期には国民の一〇%をはるかにこえる奴婢と土地を失った浮浪民がいた)はパルチャを切り拓くために蜂起したのである。
 「鄭鑑録」という奇書があるという。実在したかどうか不明なのだが、この書にあるという多くの予言が朝鮮民衆に伝わっている。そこには李王朝滅亡の日が近いことが記されているという話も民間に広がっていた。余談だが、日本敗戦の日もここに書かれていたと聞く。こうした、きわめて朝鮮的な伝承に希望を託した人たちが、東学農民軍の旗の下に集まって来たのである。
 それを戦闘集団に育てたのは全琫準という東学組織のなかでも信仰にはあまり熱心でない指導者であった。彼は東学信者を戦闘集団に組織し、一次蜂起では農民を苦しめる政府軍と戦い、二次蜂起では朝鮮を侵略する日本軍と戦った。その戦闘の詳細は『李朝滅亡』に活写されている。ここで記しておきたいのは、この農民軍を徹底的に壊滅させたのは日本の軍隊であったということだ。このことは日本現代史にほとんど記されていない。
 日本は明治の初めから朝鮮を植民地にすることを目論んでいた。最大の障害は弱体化した王朝政府ではなく、宗主国として朝鮮を支配しようとしていた清国と、朝鮮民衆の激しい抵抗であった。周到な準備を重ねて一八九四(明治二七)年におこした日清戦争には勝利した。しかし、民衆の抵抗=東学農民軍との戦いはいっこうに収まらないのである。日本の軍部はこうした抵抗を想定していたようである。あるいは植民地化したときの抵抗勢力を徹底的に排除しておこうとしたのかもしれない。
 「東学党ニ対スル処置ハ厳烈ナルヲ要ス。向後悉ク殺戮スベシ」
 この命令は日清戦争開戦の約三カ月後、十月二十七日に参謀本部次長・川上操六中将が出している。彼は実質的な参謀総長であり、戦前に朝鮮と清国を現地調査して作戦を立案指導した人物である。この命令によって農民軍は三万とも五万ともいわれる犠牲者を出した。まだ正確にはわからないが、のちの旅順虐殺事件よりはるかに多いことはたしかである。
 片野次雄氏による『李朝滅亡』『日韓併合』の二著を通読してみてしみじみ感じるのは、韓国・朝鮮人の粘り強さである。著者は気性の激しさもいう。日本の植民地になっても独立運動は激しくなるばかりであった。長い歴史のなかで度重なる外敵の侵入を受け、そのつど民衆の力で戦って、独自の文化を築いてきた伝統があるからであろう。
 かつての民主化の闘士・金大中(のちに大統領)が一九八〇(昭和五五)年二月、四年間の投獄、自宅軟禁から解放されて公民権を回復したとき、最初に民主化促進を表明する集会を開いた地は、東学農民軍が第一次蜂起で最初に勝利した黄土峴であった。一〇万人が集まったという。韓国・朝鮮の人にとって、いまも国民的な行動の原点はここにあるのであろう。
 いま日本では一九一〇(明治四三)年の日韓併合一〇〇年を各界で検証する動きが盛んだが、明治初年に遡って検証しなければならないということをあらためて思う。
                           (日韓近現代史 作家) 

著者プロフィール

片野 次雄(カタノツギオ)

昭和10年生まれ。民族学的な見地から僻村の取材を行なうかたわら、李氏朝鮮を中心に歴史研究を続ける。著書に『戦乱三国のコリア史』、『善隣友好のコリア史』(彩流社)、『李朝滅亡』(新潮社)、『世界歴史紀行「韓国」』(読売新聞社)、『日帝三十六年の顔』(韓国ソウル・宝石出版)など多数がある。

目次

はじめに 1

第一章 日本支配のはじまり
 悲劇の皇帝・純宗──たかまる抗日義兵闘争 12
 伊藤博文暗殺──“義士”安重根 36
 日韓併合条約 57
 李朝滅亡 83

第二章 日帝三十六年
 高宗の死 112
 三・一独立運動──“烈女”柳寛順 141
 反日武装闘争──義烈団の魂 173
 ある組織の構図──上海臨時政府 212
 憂国の志士たち──李奉昌と尹奉吉 242
 創氏改名──皇民化への愚策 269
 光復の日 289

『李朝滅亡』『日韓併合』関連年表 303

解説──一九一〇年の転轍 河田宏 331

対談──ベールを脱いだもう一つの歴史 辛基秀/片野次雄 339

主要参考文献 358

新しい百年に向けて──あとがき 363

関連書

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