自主の邦(くに)への幻影と蹉跌李朝滅亡

李朝滅亡 自主の邦(くに)への幻影と蹉跌

片野 次雄 著
四六判 / 420ページ / 上製
定価:3,500円 + 税
ISBN978-4-7791-1558-5 C0022
奥付の初版発行年月:2010年08月 / 書店発売日:2010年08月02日
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内容紹介

「日韓併合」から100年・・・知られざる日韓の歴史的相克をリアルに描く歴史ノンフィクションの超大作!
「征韓論」から植民地支配へ──── 江戸時代の日朝友好関係が不幸な歴史に暗転する大きな流れを分かり易く伝える。 
「わたしは、触れられることの少なかった明治後の時代を、わかりやすく描くことはできないだろうか、と考えていました。この時代の日朝関係がただでさえ複雑なことに加えて、政治的にも思想信条の問題としても難しい問題が絡んでくるので、一般にはわかりにくかったに相違ありません。本書では、史実を踏まえたうえで、主要な人物たちの挙動や肉声を、わたしなりに想像をたくましくして、より具体的なイメージをつくりあげていこうと配慮しました。この百年を見つめながらです。いってみれば、小説的であり物語風の読みもの二部作ということになります。」(「まえがき」より)

前書きなど

この百年を見つめて──まえがき


 二〇一〇(平成二二)年のことしは、「日韓併合」百年目にあたります。正確には、一九一〇(明治四三)年八月二十二日に、当時、大日本帝国、大韓帝国と呼ばれていた二国のあいだで調印された条約のことで、その七日後の八月二十九日に、正式に公布されました。韓国・朝鮮では〈朝鮮朝〉もしくは〈朝鮮王朝〉と呼び、日本では「李朝」もしくは「李王朝」と呼んでいた独立王朝国家がこの世から消え去った日でした。
 高麗王朝の武将・李成桂があらたに李氏朝鮮王朝を興したのは、一三九二(明徳三)年のことです。李成桂は都を開京(開城)から漢城(現在のソウル)に移し、国号を〈朝鮮〉と定め、自らは初代国王・太祖となりました。日本では南北朝の動乱が終わって、室町幕府が確立した時期にあたります。
 その後、第四代国王・世宗の時代に、朝鮮は中国を中心とする内外政に治績をおさめ、独特の文化を向上させました。対馬島主・宗氏を介して日本との歳遣貿易を開始したのも世宗なら、朝鮮固有の文字〈ハングル〉を創製したのもこの国王だったのです。
 しかし、第十四代国王・宣祖の時代に、豊臣秀吉の二度にわたる朝鮮侵略が始まります。日本側で「文禄・慶長の役」、朝鮮側で〈壬辰・丁酉倭乱〉と呼ぶ戦乱がそれでした。日本軍は朝鮮全土を完膚なきまでに蹂躙しましたが、朝鮮水軍の勇将・李舜臣や義兵たちの抵抗に遭って挫折し、戦乱は秀吉の死とともに七年目にやっと終わりました。
 秀吉が破壊した朝鮮との関係修復に奔走したのは、関ケ原の合戦で豊臣家遣臣団を破り、天下の実権を握った徳川家康でした。一方、宣祖と李朝政府は、戦役中に日本に拉致された捕虜の返還に乗り出します。李朝政府から捕虜返還を求める使節団〈回答兼刷還使〉がそれから十七年のあいだに、三度も来日しました。家康、秀忠、家光がそれに応えています。この間に、日本と朝鮮の関係は、年ごとに改善されていきました。以後、李王朝からの使節団は〈朝鮮通信使〉という呼び名に改まります。両国の善隣友好が確定したからに他なりません。朝鮮通信使の往来は、とくに第十九代国王・肅宗の時代に盛行しました。対馬藩の儒学者・雨森芳洲が活躍したのも、この時期のことです。朝鮮からの通信使の往来は、さきの使節団をふくめ、江戸時代二百六十余年間を通じて、前後十二回にも及びました。そして日本は、明治維新を迎えます。
 一方李王朝は、その成立よりここまでに、すでに四百七十余年もの歴史と伝統を誇りつづけてきている……。

 かねてからわたしは、日本と韓国・朝鮮の永い歴史のなかでも、触れられることの少なかった明治後の時代を、わかりやすく描くことはできないだろうか、と考えていました。むろん歴史教科書や専門研究書は多数出ていますが、この時代の両国関係がただでさえ複雑なことに加えて、政治的にも思想信条の問題としても難しい問題が絡んでくるので、一般の読者にはわかりにくかったに相違ありません。
 そこで、本書では、史実を踏まえたうえで、主要な人物たちの挙動や肉声を、わたしなりに想像をたくましくして、より具体的なイメージをつくりあげていこうと配慮しました。この百年を見つめながらです。いってみれば、小説的であり物語りふうの読みもの『李朝滅亡─自主の邦への幻影と蹉跌─』と『日韓併合─李朝滅亡・抵抗の記憶と光復─』の二部作ということになります。このような歴史ノンフィクション・ノベルの手法が功を奏すか否かはあくまでも定かではありませんが、複雑な日韓関係の歴史と現在を理解する一助になれば幸いです。

版元から一言

新しい百年に向けて──あとがき

 ソウル・オリンピックが開かれたとき、韓国の選手たちは口をそろえて、他の国には負けてもいいが、日本にだけは絶対に負けたくないと言いました。このことばの深い意味を正しく理解できた日本人は少なかったでしょう。
 ワールドカップ・サッカーのアジア予選が行なわれたときも、韓国の選手たちは、日本チームだけを眼のかたきにしました。そして日本チームに勝つと、韓国の選手たちは、手の舞い足の踏みどころもないほどの欣喜雀躍をかくしませんでした。韓国の応援団の人びとも同様です。その狂喜のうらにかくれた深い意味を、正確に理解できた日本人も少なかったに相違ありません。
 また韓国の世論調査で、もっとも嫌いな外国人はという問いに対して、日本人という答えがでています。なぜでしょうか?……。この韓国人の国民感情の底にあるものを知る日本人も、決して多いとは云えないのではないでしょうか?──。
 わたしはかって、日本と韓国・朝鮮に関わる歴史を五部作に書きわけました。白村江のたたかいを中心に高句麗・百済・新羅の朝鮮三国時代、蒙古襲来におびやかされた高麗時代、朝鮮独特の文化を確立した世宗大王の李朝時代初期、日本側で「文禄・慶長の役」、韓国・朝鮮で〈壬辰・丁酉倭乱〉と呼ぶ豊臣秀吉の朝鮮侵略を軸に李朝時代中期、そして善隣友好のあかしでもある〈朝鮮通信使〉を題材に李朝時代後期を描きました。これで、両国の千二百年にわたる歴史的な関係を断片的ですが平易に物語ったつもりです。事実、日本と朝鮮の関わりがよくわかるという大方の好評を得ました。わたしはここまでで終止符をうつべきであったかも知れません。
 なぜならば、朝鮮側の李朝末期、日本側の明治維新後の両国の関係は、いわゆる近現代史と分類され、日本人が触れることがタブー視されていたからです。ある意味では、戦中はもちろん、敗戦後六十五年を経たこんにちでもそうであるといっていいでしょう。この時代に、日本という国と日本人が、韓国・朝鮮で一体なにをやったかということが明らかになってしまうからです。大仰にいえば、国が口を閉ざしていることを、わたしが勝手にぶちまけてしまう結果になるかも知れないからでした。
 しかしこの部分を明らかにしない限り、冒頭に述べた韓国人の国民感情の底にあるものは理解できない……少なくもわたしはそのように認識し、そのことで気負いたちました。日韓関係史の一部を紹介した者として、逃れることは許されない一種の責任さえ感じたわけです。それがあらためて近現代史に取り組んだ動機になっています。したがって調査には、慎重のうえにも慎重を期しました。
 歴史を公平にみる──これはわたしの持論です。だがそれがいかにむずかしいかも、充分に承知しています。そこで本書も前五作と同様に、歴史的事実を並べ、多少の肉付けを加えることにのみ終始しました。それでもなおかつ方角ちがいに筆がすべったとしたら、それはわたしの力不足であり、ご海容いただかなければならないでしょう。
 ここで、本書の生い立ちについて触れておきたいと思います。最初は総合月刊誌『知識』に二年八カ月にわたって連載いたしました。雑誌連載中には、当時存命だった在日韓国人の碩学・辛基秀先生や韓国在住の友人・安玲二氏、日韓ジャーナリスト・多田則明氏などから、多大なご教示、ご指導を賜りました。とくに安玲二氏は韓国側の史料を提供してくれ、さらに難解きわまる朝鮮漢文やハングルを読みくだしてくれました。ハングルによる地名や人名の読み方は「ジ」より「ヂ」のほうが実際の発音に近いと教えてくれたのも、この友人です。
 その後、連載を単行本に一冊にまとめるという話になりました。ただし本づくりの事情から、大幅に削減しなければなりませんでした。舌足らずになりますが、それも仕方がありません。それが旧著『李朝滅亡』(新潮社=絶版)です。文庫本にまでなった“朝鮮もの”であったことは事実です。
 その旧著を「日韓併合」百年を機に、新装版といたすことになりました。分量は旧著の二倍近くになっているはずです。それが『李朝滅亡─自主の邦への幻影と蹉跌─』と『日韓併合─李朝滅亡・抵抗の記憶と光復─』の二部作です。そのために、彩流社社長・竹内淳夫氏と編集ジャーナリストの赤羽高樹氏、デザイナーの田中等氏に格別のご助力をいただきました。あらためて、御礼を申し上げます。この方々のご協力がなかったら、本書がふたたび世に送り出されることはなかったでしょう。
 なお書名については、「日韓併合」と「韓国併合」の二通りの表現が常用されていると広辞苑にもありますが、前者は日本の植民地支配を明確にした文言だとしても、後者は主語が無いにも等しく、その本質をおおい隠すことになりかねないと考え、大日本帝国が大韓帝国を強制的に併合したという意味を込めて、「日韓併合」のほうを採りました。

 二作をまとめ終わってからわたしは、韓国の友人と連れ立って、韓国忠清南道天原郡木川面にある〈独立記念館〉に出掛けました。すでに数回目になります。そこは広大な敷地のなかに建つ壮大な歴史記念館です。とくに、日本の植民地時代の記録がなまなましい。そして幾度行っても息苦しいまでに多くのことを語りかけてくるのです。それは、わたしの著作などとはとても比べものになりません。わたしはそこで、日本人ならせめて一度はここに赴き、展示物を直視し、歴史を再認識すべきではないかとあらためて思いました。韓国・朝鮮人の心がここに凝縮していると気付いたからです。さらには、新しい百年に向かう将来の日韓・日朝関係の原点が、ここに充満していると痛感したからに他なりません。

   二〇一〇(平成二二)年六月                  著 者

(社)日本図書館協会 選定図書

著者プロフィール

片野 次雄(カタノ ツギオ)

かたの つぎお
昭和10年生まれ。民族学的な見地から僻村の取材を行なうかたわら、李氏朝鮮を中心に歴史研究を続ける。著書に『戦乱三国のコリア史』、『善隣友好のコリア史』(彩流社)、『李朝滅亡』(新潮社)、『世界歴史紀行「韓国」』(読売新聞社)、『日帝三十六年の顔』(韓国ソウル・宝石出版)など多数がある。

目次

 この百年を見つめて──まえがき 1

第一章 朝鮮開国
 日本海軍軍艦「雲揚」発砲す 14
 吹き荒れる洋擾の嵐──江華島事件への歩み 32
 李王朝骨肉のあらそい──大院君と閔妃 50
 朝鮮は自主の邦なり──日朝修好条規 73
 出兵へのかけひき──壬午軍乱 89
 開化派と守旧派──政争の構図 105
 開化への死闘──甲申政変 123

第二章 李王朝の内紛
 外交という名の戦い──天津条約 140
 清国軍、日本軍出兵す──甲午農民戦争 160
 日清戦争勃発──豊島沖海戦 181
「朕の戦争に非ず……」──黄海海戦 200
 勝者と敗者の苦悩──下関条約 221
 閔妃暗殺 246
 大韓帝国の誕生──日露戦争への期待 270

第三章 大国のはざまで
 植民地化への足がかり──日韓議定書 292
 日露戦争──にがい勝利 329
 大韓国は日本の保護国なり──第二次日韓協約 360
 慟哭の日──乙巳五賊と憤死者たち 383
 高宗最後の抵抗──ハーグ密使事件 404

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