伊藤文学氏、茂吉の歌碑を建立

2013 年 8 月 12 日 月曜日

齢八十を過ぎてなお意気軒昂。 (続きを読む…)

第10回「ギターとビウエラの博物館」を訪ねて
──西川和子(『ビウエラ七人衆』)

2013 年 8 月 9 日 金曜日

 

 

この春スペインを旅したのですが、いろいろ調べていて、マドリッド近郊にシグエンサという小さな町があり、そこに「ギターとビウエラの博物館」がある、ということを知りました。昨年『ビウエラ七人衆』を刊行したのだから、今回この町に行ってみようと、拙著『ビウエラ七人衆』と、自己紹介や本の内容を簡単に書いたスペイン語の手紙を持って、私は旅立ちました。 (続きを読む…)

戦地に赴いた祖父のこと

2013 年 8 月 9 日 金曜日

2人とも既に他界してしまっているが、40歳を過ぎた頃からふと、祖父のことを思い出す。
8月になると、なおさらだ…。
父方の祖父は、私が小学校5年で他界した。
父親は9人きょうだいの下から3番目。実家へ行くと孫も含めて何十人となる。年少の頃からよく聞かされていたのが、
「おじいちゃんは、立派な海兵だったのよ。でも終戦間際、日本は無駄な戦いをしてしまい、海兵隊が一列に並ばされて、
●●海へ出撃を命じられ、おじいちゃんの一人前までが戦地へ送られ、その隊は全滅。もし、おじいちゃんまでが戦地へ送られていたら、
あなたは生まれてこなかった」という内容の逸話。小さな頃はその意味がよく分からず、というか考えようともせずに聞くのも嫌だった…。

母方の祖父は陸軍兵だった。今から5年前に他界。小さなころから、必ず母親の実家に行くと、母親に祖父の肩たたきをやるように言われた。
そして、首の後ろをよく見るように言われた。
首の後ろがひどく内側に食い込んで、酷く窪んでいるのだ。実際に、それを見るのが僕は嫌だった、というか、怖かった。
なぜ、母親がそれを見るように言っていたのか、今ならばなんとなく分かるが、当時の僕には分からなかったし、そもそも分かろうとしなかった。
母親に聞かされたのは、大陸で戦った折、敵の弾が左頬から首の後ろに貫通した。首の後ろの窪みはそのとき、弾が抜ける折にできたのだそうだ。
ここでも、ほんの数ミリでも弾道がずれていたら、あなたはこの世に生まれていなかったのよ、と母親から何度も何度もいやになるぐらい聞かされた。
当然、祖父の左耳はまったく聞こえない。祖父の右手もうまく使えず、御飯もいつもフォークで食べていた。
戦争から帰って、農家をやって、それは死にものぐるいで自分が生き、家族を食べさせたという。
母親の実家は今も農家で、田んぼのど真ん中に墓が立っている。祖父の葬式の折、納骨式で墓の前にいると、いつも小さな頃から見ていたはずだった、
もう一つの苔むした墓が横に立っている。知らない遠い親戚らしいおじさんが私の横に立っていて、突然話しかけてきた。
「この墓は、死んだ●●(祖父の名前)の2人の弟の墓だ。●●が、撃たれて戦えなくなっただろう。それで兄貴のかたきだ、と言っていた」と。
そして、海兵だった2人の弟は戦艦大和の護衛艦の一艘に搭乗し、海上に散ったと。(伝え漏れの話しなので、どこまで真実かは分からないが…)。
確かに、祖父の家の奥の間には、遺影が飾られていて、あとで知ったが、それが2人の弟だった。
この遺影を見るのも怖くて嫌だった。
祖父は戦後、弟たちの墓を建て、毎日自分のために死んでしまったと自分を責めて毎日毎日墓参りをしていたんだと、その親戚のおじさんに言われた。

今、僕は後悔している。なぜ、祖父たちが生きている間に、祖父たちに直に話しを聞かなかったのだろう、聞くことができなかったのだろうかと。

今からではもう遅い。

でも、祖父に話しを聞いていたであろう両親や親戚の叔父、叔母に、今は亡き2人の祖父のことを聞いてはおけるはず。これから、自分はどうするか? 自問する。

先日、彩流社から山本宗補さんの写真集、『戦後はまだ…』が刊行されたばかり。8月1日の「東京新聞」で、山本さんは、次のようにインタビューに答えていた。

「歴史を直視できない安倍首相は危険だ。戦争体験者は八十、九十歳代。取材後、十八人が亡くなった。残された時間は多くない。若い世代に戦争の悲惨さを伝えていきたい」(『東京新聞』2013.8.1)

残された時間は多くない。このひと言が僕の胸には重くのしかかっている。
すでに死んだ2人の祖父のことを思うと…

(小鳥遊)

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リカルディーナの肖像

2013 年 8 月 7 日 水曜日

第9回 47年ぶりの再訪(2)
    ——飯島幸永(『寒流』)

2013 年 8 月 1 日 木曜日

(1)はコチラ

◆入広瀬村へ

その後、まだ雪の積もる3月31日に魚沼市入広瀬村に向かい、手紙をいただいた皆さんに会いに行った。

「刈り入れの夫婦」として収録したご夫婦(穴沢タマニ・宏さん)は、弟、娘夫婦や妹夫婦など親戚一同15、6人で集合していて、入広瀬村道の駅「鏡が池」で私を迎えてくれた。子供だった生徒も (続きを読む…)

蘭印戦跡紀行

2013 年 8 月 1 日 木曜日

戦後はまだ・・・

2013 年 8 月 1 日 木曜日