山本宗補氏・戦争体験者の写真展『戦後はまだ…』@ジュンク堂書店池袋店

2013 年 7 月 31 日 水曜日

2013年7月30日~9月半ばごろまで(未定)
ジュンク堂書店池袋店、4階にて開催。

(続きを読む…)

『中欧のモダンアート』と私的な思い出

2013 年 7 月 31 日 水曜日

関東近辺にお住まいの皆様、10年以上前、各百貨店に美術館があったことを思い出すことはございますでしょうか。

新宿には伊勢丹美術館に小田急美術館、三越美術館、そして池袋には東武美術館にセゾン美術館(旧西武美術館)があり、都心にある気軽さから、ふらりと訪れていたものです。 なかでもセゾン美術館は、好みの展覧会が多く、通学定期圏内のターミナル駅に直結していたこともあり、学生時代に特によく足を運びました。

実は先日、無事に出来上がりました『中欧のモダンアート』を編集中、本書に出てくるポーランドの演劇家タデウシュ・カントルから、学生の頃の自分とセゾン美術館を思い出し、いま現在も感傷的な胸の痛みを抱えております。 (続きを読む…)

家族・ドラマ・女優

2013 年 7 月 29 日 月曜日

今夏のTVドラマには注目作が多い。 (続きを読む…)

『中国と琉球 人の移動を探る』
書評されました——『沖縄タイムス』

2013 年 7 月 26 日 金曜日

978_4_7791_1678_0.jpg

※本書の詳しい内容は画像をクリックしてください。

 

◆「本件研究分野の担い手が次世代へ着実に継承されていることを示すもので、そのこと自体が心強い限りである」(『沖縄タイムス』2013.7.20)

 

 

第8回 著書を出版することの難しさ
──さかぐちとおる(『ラテンアメリカ鉄道の旅』 )

2013 年 7 月 25 日 木曜日

●サラリーマンを辞めて20代後半でデビュー

 

私は2000年8月に『キューバ音楽紀行』(東京書籍)を出版した。

その約1年半前まで放送局の関連団体で新卒職員として働いていたものの、

業務内容としては一般的な事務職のサラリーマンだった。理想を描いていたジャーナリズムの現場の仕事ではなかったので、

約4年後に退職してしまう。

無職生活の間にバックパックを背負って中南米や南欧を旅して、 (続きを読む…)

第7回 47年ぶりの再訪(1)
    ——飯島幸永(『寒流』)

2013 年 7 月 25 日 木曜日

 

◆3通の手紙

人生には、出会いと別れ、そして再会がある。中でも再会は、長い歳月を経ていると、お互い出会いの時のままで記憶が止まっているため、その分驚きと感激もひとしおである。私はこの再会の歓びを、47年ぶりに2013年3月31日と5月28日、29日、30日に果たしてきた。かつての豪雪地、入広瀬村(現、新潟県魚沼市)の山中にある芹谷内集落を訪ね、 (続きを読む…)

月刊キュリオマガジン172号

2013 年 7 月 25 日 木曜日

小田急電鉄

2013 年 7 月 25 日 木曜日

【書評など】『てっちゃん』ーー「読売新聞」「朝日新聞」「熊本日日新聞」「読書人」に取り上げられました!

2013 年 7 月 24 日 水曜日

『てっちゃん』が「読書人」(2014.1.31)・「読売新聞」(2014.1.20)・「朝日新聞」(2013.12.2)の書評、「前衛」(2014年8月号)、「ふぇみん」(2014.2.25)・「熊本日日新聞」(2013.11.29)の「新生面」にて取り上げられました。 (続きを読む…)

「日光東照宮に原爆が落ちなかった理由(わけ)」

2013 年 7 月 24 日 水曜日

「日光東照宮に原爆が落ちなかった理由(わけ)」って、何のこっちゃ? という感じでしょうが、これは、私めが学生時代にとある文芸誌に応募した小説のタイトルなんですね。戊辰戦争時の板垣退助にかけて、太平洋戦争時に日光に原爆が落ちなかったという史実を、パロディ化して書いたのですが、まあ、棒にも端にもかからず……(笑)。

というわけで、なんだか昔から原爆について色々と考えることが多いのですね。

そもそも本当の被爆者だけがこのことを話題にする権利があるのかどうか、ということをいつも考えています。日光生まれの日光育ちの私には、唯一の被爆国である日本の片田舎に生まれて被爆のことは語ってはいけないのだろうか……?

学生時代、大江健三郎が編んだ日本ペンクラブの出した『何とも知れない未来に』というアンソロジーを読んで、考えさせられた。書き手は皆、広島、長崎出身者だった。大江は『ヒロシマ・ノート』で、自分の息子が障害を負っているので、被爆者の気持ちが分かるようなことを書いていたけれど、それがずっと引っかかっている。

でも、広島、長崎というレベルで見ればまったく異なるものの、日本という国家レベルで考えればどうなのか? 答えはまったく出ていないけれど、これからもずっと考えていくことなんだろうなと思う。きっかけはなんだったか、忘れちゃったけれど、恐らく高校時代の広島への修学旅行だったとは思うけれど。

私の好きな浜田省吾も広島出身ですが、彼の歌う歌にも考えさせられる。「8月になるたびに広島の名の下に平和を 唱えるこの国 アジアに何を償ってきた」という『八月の歌』は、高校時代の付き合っていた彼女がハマショーのなかで一番好きだった歌だった(だからなんやねんという感じではありますね)。
浜田省吾の表現を借りると、戦後生まれたの我々は、原爆という性器に犯された日本という母親から生まれた子どもたち……。

先日、つかこうへいの没後3年ということで、弊社からも批評集を出しましたが、僕はつかの作品で最も衝撃を受けたのはやっぱり、『広島に原爆を落とす日』でした。エノラ・ゲイから投下のボタンを押すと、その指先から悪魔になっていくというような下りは、いまだ以て忘れられません。

(我が家の自分の書棚を見ると、一棚、原爆もので固まっています。)

そんなことをつらつら8月になるたびにいつも思う私ですが、我が彩流社からは、『原爆文学論』(これは当然、学生時代に読んでいました)や『原爆投下とトルーマン』(これは入社してから一読しました)が出ています。

 

そして、この夏、『原爆投下とアメリカ人の核認識』という本も出ます。
いろいろ考えさせられる8月が、またやってくる……
(小鳥遊)