さようなら、アラカワさん

2010 年 5 月 26 日 水曜日

紐育で荒川修作氏が亡くなった。急なことでほんとうにビックリした。
パートナーのマドリンさん、日本事務所の本間さん、おふたりはたい
へんなショックだったことだろう。『ヘレン・ケラーまたは荒川修作』
(新書館)の監訳者である渡部桃子先生によれば、荒川さんは今年の
初めから体調はあまり良くなかったらしい。
鶴首されていた本書がようやく4月に刊行なって、また現在大阪の
国立国際美術館で開催されている「初期作品展」でもイベントが
企画されていたと思うが、それもすべて実現できなくなってしまった。
たいへん残念だ。

かつて勤務していた版元で、荒川さんと藤井博巳さんの対談本を編集
製作したが、そのとき、定宿であったフェアーモントホテルへできた
ばかりの見本を持っていったのだが、カバーデザインについて荒川
さんからダメ出しを受けた。とはいえ予算の都合上、刷り直しはでき
ないし、応急処置として真っ白な糊付き壁紙をカバーに貼って模様を
隠した。すると、
「これはすばらしい!」
と言われたのだった。さらに怒られるのではないかと覚悟していたの
だが、またっくの逆。こちらは虚を突かれた。

その後、第2弾の対談本で東大・表象のK先生と荒川さんの企画を
進めていたが、結局、こちらはカタチにすることができなかった。
記憶に残っているのが、東大駒場の教室に学生を入れて対話の収録
をし、その後、神泉にあった中華料理店に行って食事をしたのだが、
高級店にやってくることなどまったく考えていなかったため手元
不如意。荒川さんが次から次へと赤ワインを頼むのを脇でひやひや
しながら見ていた。そのため晩飯を食べたという実感がない。
結局、K先生のクレジットカードと、持ち合わせの現金で支払いを
済ませ、なんとか精算できたのでほっとした。
すると、ものすごく腹が減ってきたのだった。気が小さいニンゲンは
ダメだ。食事のときは懐に余裕がないとうまいものがじっくりとは
味わえないことを痛感させられた一夜だった。

荒川さんと本をつくっていたころは、まだ千鳥が淵にフェアーモント
ホテルがあったころだ。ホテルの喫茶室で荒川さんを囲んでの哲学的
な雑談に接することができたのは強烈な刺激となった。荒川さんの口
から飛び出す概念やら観念は本気なのか冗談なのか凡庸なこちらには
すぐには理解できない。誰とでもいついかなるときでも、荒川さんは
話すときはテンションが高い。なぜあれだけ集中できるのか不思議で
ならなかった。かといってカタイことばかりを話すのではないのだ。
卓を囲んだ人びとには「笑い」が絶えないのだった。いまでも忘れら
れない情景だ。

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ともあれ、いま開催中の初期作品展のタイトルが「死なないための
葬送」という。これは荒川さんはことのほか気に入っていたらしい。
荒川さんの「言魂」は持続しつづけている。合掌。

[筆・南葵亭樂鈷]

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