『評伝 尹奉吉』が図書新聞(3/6号)にて大きく書評されました!

2010 年 2 月 26 日 金曜日

hyoudenyunbongiru.jpg

日本ではテロリスト、しかし韓国・朝鮮では愛国者・義士である……。時代が生んだ“悲劇の肖像”の全てを描く。1932年4月29日、上海虹口公園で日本の高官に手投げ弾を投げ、24年の短い生涯を閉じた尹奉吉の生き方と影響。

「尹奉吉は、事件当時から「凶悪無残の班員」(『北国新聞』)と報じられていたし、今日でも彼を知る一部の日本人には彼を「単なる暴力的なテロリスト」とみなす人が多い。しかし、本書を読めば、それは誤解であることがわかる。本書が生き生きと描いているように、彼は、本来故郷の農村教育を通じて地道に朝鮮独立、東洋平和のために実力を養おうとしていた平和主義者であった。」(図書新聞3.6号より)

平岡さんの「談志論」がまもなく店頭に!

2010 年 2 月 26 日 金曜日

弊社刊の『快楽亭ブラックの毒落語』に引き続いて、平岡正明さんの

新刊『立川談志と落語の想像力』(本体2000円+税)が版元・
七つ森書館よりまもなく刊行される。一足早く、中里社長より見本を
恵贈された。まさに巻措くを能わず。一気に読み進めているのだが、
師弟であった「談志・ブラック」のからみで気になる一文があったので
まよわず引用する。

「談志ファンというのは、記者、編集者、司書といったインテリ稼業
が多い。おれが聴きてえんだ、邪魔だから出て行け、と野次る者を
つまみ出すような鳶頭(かしら)タイプのファンはいそうにもない。
そこが快楽亭ブラックとちがう。ブラックのファン層は閉鎖系という

より密封状態にあり、爆弾は殻(シェル)が固いほど破壊力が強く、
末井昭に連れて行ってもらった浅草大勝館ショーホールの、アングラ
芝居の小屋みたいな場に足を一歩踏み入れたとたん、この連中は
手強いと感じさせたブラックファンの密度は、快楽亭ブラックという
男の異様な潜在能力につなぎとめられていると俺は直感した。
たまさか談志の寄席に顔を出して場ちがいな野次を飛ばし、談志が
反応したことを奇貨に、自分が反談志の英雄になったかのように
上気したお調子者は、ブラックの寄席には一分といられないだろう。」

いきなり平岡節炸裂なのである。まもなく書店に並ぶので、店頭で

ネット書店でみなさまご購入ください。

談志論_1.jpg

[筆・南葵亭樂鈷]

「藝」と「藝人」と「格」と、な~んちゃって!

2010 年 2 月 25 日 木曜日

書き下ろし書籍のこともあって、快楽亭ブラック師の、
2月20日に「お江戸日本橋亭」で開催された、

「快楽亭ブラック毒演会~オールリクエスト大会」
に行った。この会は「オールリクエスト」ということで、
事前に配られた落語の演題が記されたプリントの
なかから、客が4つ選ぶということになっている。
当日選ばれた演目は、「イメクラ五人廻し」「マラなし芳一」
「買えん大根」「放禁百川」だった。すべてがヘヴィー級。
客席には若い女性もちらほらいたが、けっこう笑っていた。
愚生は最後列で注意しながら観察していたので間違いない。

____________1.jpg

ともあれ次回の「快楽亭ブラック毒演会~弥生ショーの巻」
は3月13日(土)に開かれるが、なんとこの会には、あの
川柳川柳師が出演し、川柳師の「ジャズ息子」と、それを
もとにして創作したブラック師の「演歌息子」が立て続けに
演じられる予定。これはスゴイ。
ますます元気ハツラツ80歳を目前にした川柳師と、
CD製作の途上で寸借サギに遭い「ブラックエイド」と称して
猛烈な勢いで落語会を開催するブラック師の対決は
「いまこそが見ドキ」である。間違いない。

____________2.jpg

とにかく先にも書いたように、ブラック師に「ブラックアングル
的歌舞伎論」を書いてもらっているので、愚生も付焼刃的に
勉強を開始した。
まずは渡辺保先生の『歌舞伎 過剰なる記号の森』(ちくま
学芸文庫)を読んでいるのだが、これがまた「入門書」のようで
ありながらもさにあらず、のっけから異常なテンションで始まる
のだ。巻頭から「藝」「藝人」そして「藝(藝人)の格」について
述べられているが、これが普遍的な「藝」論、「藝人」論だと

思うので引用する。

「……吉右衛門は自分を差別する観客を愛嬌によってとりこ
にした。吉右衛門の勝利である。彼は愛嬌という武器によって
差別をのりこえ、観客の上に君臨した。愛嬌こそは差別をこえる
武器であり、エネルギーの象徴であった。したがって愛嬌ほど
歌舞伎にとって大事なものはないのだ。それは観客と自分の
スタンスのバロメーターであり、役者としての存在の仕方、
精神のあり方の象徴だからである。
もっとも愛嬌と媚態とは別ものだ。媚態はそれ自体現実の

利益ために人に媚びる下品なもの、つくられたものであるが、
愛嬌は人を楽しませるもの、利害打算をこえて人を無心に
させるものである。吉右衛門は、つねにどこか卑下したところ
があったが、彼の愛嬌はもっと自由で品格のあるものであった。」

「……かくして芸は芸人の人格から独立した一つの人格をもつ。
高村光雲(あるいは石川淳)と小林如泥の間にあるものは、
煙草盆ではなくて、この如泥の、芸の人格なのである。
この人格は、石川淳のいう通り〈如泥の生活の仕方〉〈仕事の仕方〉
との関係から生まれ、いまここで石川淳と如泥との関係のなかに

浮かぶものである。そのことを要約すれば、芸とは一つの関係性
のなかに生まれるものだということができるだろう。すなわち
つる家の主人がいうごとく〈出し方が違います〉〈出し方〉とは
関係性をどうとらえるかということである。」

まさに滋味掬すべし。日々之勉強である。嗚呼。

[筆・南葵亭樂鈷]

「フジテレビ目玉名人会」(2・27)のご案内

2010 年 2 月 25 日 木曜日

弊社刊行の一連の落語関係書のプロデューサー

であります塚越孝さん(フジテレビアナウンサー)
の司会進行で、来る2月27日(土)開演16時より、
「第7回フジテレビ目玉名人会」が開催されます。
出演は中堅の落語家で、艶のある江戸弁をあや
つり豊かな表現力で評価が高い古今亭菊之丞師。
そして歌と三味線で寄席をひきたてる三遊亭小円歌
さん。落語と歌、そして塚越さんを交えおふたりの
芸談と、じっくり、たっぷりと楽しんでいただく内容。
チラシをアップいたします。ご予約はお早めに。

_______________.jpg
[筆・南葵亭樂鈷]

ジョージ・エリオット 評論と書評

2010 年 2 月 23 日 火曜日

『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』が毎日新聞(2/21付)にて紹介されました。

2010 年 2 月 22 日 月曜日

toransirubaniamorudabia.jpg

ドラキュラ・コマネチ・チャウシェスクの痕跡を訪ねて!ドラキュラ城のモデルとされるブラン城やルーマニア革命発祥の地、ティミショアラ、世界遺産の南ブコヴィナの修道院など美しい切手と写真でつづる歴史紀行。オールカラー。

「社会主義政権下でアポロ計画を描いた切手が多数発行されていたとの挿話なども、著者ならではだ。切手収集に熱中した幼いころを思い出しつつ、本書でかの地に思いをはせるのも、大人の楽しみかもしれない。」(毎日新聞2/21付より)

アメリカ文学にみる女性改革者たち

2010 年 2 月 22 日 月曜日

立松和平さんのこと

2010 年 2 月 20 日 土曜日

 その人に会うと必ず心が洗われたような気持ちになる、という人はあまりいるとは思えないが、立松和平さんはそういう方だった。

 以前在籍していた出版社で、3冊の作品を作らせていただいた。去年も晩夏まで、原稿のやりとりをさせていただいていた。
 打ち合わせのあとの帰り道で、まるで仏様とでも話したかのような気がいつもしていた。救われた気持ちになったことが何度もある。
 事情が少し複雑になった時、私をかばってくださっていたこと、そして関わった人のだれをも傷つけずにいたことを、亡くなった後に知った。
 これではなんだか、作家と編集者の立場が逆転しているようだ。若い(?)編集者ということで、面白がってくださった面があったのかもしれない。
 
 昨年11月末に出た、山中桃子さんの『おばあちゃんのくりきんとん』(長崎出版)という絵本を、桃子さんからいただいていた。桃子さんは、立松さんのお嬢さんだ。
 絵本のなかで、桃子さんのお子さんがモデルと思われる「たろうくん」が、すでに仏壇の写真の人となったおじいちゃんの若いころの話をおばあちゃんから聞くシーンがある。家族の「死」を受け入れること、その人の生と残したものを伝えていくことがテーマになっている絵本だ。
 桃子さんは、これまで「死」や「いのち」がテーマの絵本を立松さんと何冊か作っている。絵本の中で、読み手である子どもに対して、死の悲しみや孤独をむしろ前面に打ち出して、ありのままに伝えているところに感動する。
 桃子さんは、第二子を立松さんの手術の直前に出産されたと聞く(たしかご長男は2月生まれだったと記憶している)。私は、桃子さんのなかに、立松さんの魂が生きているような気がしていたが、今回改めてその思いを強くしている。

 
 それにしても、『週刊朝日』(2月26日号)の記事はひどすぎた。記者は、立松さんの生き方や作品を知らずに書いたとしか思えない。久しぶりに買った『週刊朝日』だったが、あまりにも低俗であるばかりでなく悪意のある文章に、がっかりした。
 
 『週刊読書人』(2月19日号)の黒古一夫さん(評論家)との対談のなかで、立松さんの作品には、インテリと正真正銘の悪人が出てこないと語られており、納得してしまった。
 
 思い出す場面は数々あるが、ある時、地方の図書館に行ったら昔の自分の作品が棚にあったのを見つけた、という話をされ、「たとえぼくが死んでも、ぼくの本は図書館で生き続けるんです、だから(図書館は)ありがたいですね」とおっしゃっていたことを、ふと思い出した。
 
 いまも、立松さんの事務所に行けば、「不思議な体験だったんですよ」と、自らの死の体験までも「あの声」で語る立松さんに会えるような気がする。
 立松さん、これまで、ありがとうございました。いつまでも、本を通して生き続けてください、そしてもっともっと教え導いてください。(出口綾子)

司馬遼太郎を「活用」する!

2010 年 2 月 20 日 土曜日

幕末明治の「戦争」全部解説します!

2010 年 2 月 20 日 土曜日