年末、最後なので、また趣味でお茶を・・

2009 年 12 月 28 日 月曜日

今年も、正規には出勤日が本日で終わりです。とは言うものの、明日から、汚い字なので、「もらってもうれしくない」(嫌がらせ?)年賀状?を、書けるだけ書いて出すのが待っています。話は変わって、この間の勉強会の後の飲み会で、自分で言っておいて後から、思うに「分かってなかった」ことを、とりあえず分かるところだけ確認して、また来年「分かっていければ」と、会社に全く関係ないものの、年末最後だし早く帰りたいからいいやということで、書いてみます。「(フロイト~ラカン系の)精神分析は心理学批判である」というもので、前読んだ向井雅明さんの書評文では「デカルト、カント、フッサールがやろうとして不十分だった「批判」を徹底したのがラカン」ということだったが、「哲学」読んだことないため、やはり理解が不十分で、だいぶ以前に、初めて会った人に、「分かってないのに説明しよう」として、でっち上げたのが・・・「心理学は「心」の「理由」を探し、見つかったものへ「共感」でもって寄り添う。その理由を、少し別の理由へ移して、症状が無くなって「治療」とする。精神分析は「心」の「原因」を探し、しかし、あらゆる原因は、それが原因であると確証することが不可能だから、共感不可能で、「共感」でもなく「寄り添う」でもなく、その患者が「主体的」に、ひたすら心を彷徨わせることを繰り返し、今ある思考を突き崩す「思考」を推し進め(「症状」は、「ある思考」を覆い隠すことに役立っているため)秘書として就いて行くことで、これでもないあれでもないと進んでいって「最終的につまずいたところ」で・・・もう前に一歩も進めないところの岩盤に対して「この辺が「私の症状」」とそれそのものを引き受ける。要は「心理学」は「異常」から「正常」への移行(治療)があるが、「精神分析」は、精神分析さえも「症状」である以上、「異常」から「普遍的異常」に移行はしても「症状」は消えてなくならないから、それを引き受けるしかない。ある集団内の異常が、別の集団内での正常に移っても、その別の集団そのものが「正常」である根拠はないから「症状」は永久にという?と書いてきたところで、やはり「心理」と「分析」の違いは、なんだか良く分からない。ドゥルーズさんは、「分析「心理学」」のユングを評価して、フロイト(「精神分析」)~デカルト~カントの「分析的」系、とユング~スピノザ~フィヒテの「総合的」系と分けて、より「全体」の「象徴」から見る?神経症の「良い部分」を発見して伸ばすべきという?後者に株を上げているらしかったり、「進化心理学」に可能性を見出しているディラン・エヴァンスは「ラカンは間違っている」という本を書き、今度「学樹書院」から翻訳が出るらしかったり、「心理」が正しいのか「分析」が正しいのか、どちらもうろ覚えで、分からないので、来年は、もう少し分かればいいと思います。(玉崎)

「権太楼落語」本年聴き納め

2009 年 12 月 28 日 月曜日

12月26日、27日の両日、毎年恒例の権太楼師一門の

「暮れの会」に行った。

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愚生は権太楼師の著書『大落語論』を含む、CD・DVD
等の販売コーナー担当。
初日のネタは「禁酒番屋」と「百年目」。そして春風亭正太郎
さんの二ツ目昇進の披露目の口上を権太楼師がやった。
初日の打ち上げで、明学出身の正太郎さんと、四方田先生、
巖谷先生の話で盛り上がった。ちなみに権太楼師も、正太郎
さんの師匠・春風亭正朝師も明学OBである。

二日目のネタは「猫の災難」と「居残り」。権太楼師の「居残り」
は常にレッドゾーン、壮絶の一語。佐平次が「肺病」だなんて
信じられないぐらいのハイテンションのブチ切れ状態。お座敷
での座持ちの良さを突き抜けたハイパーリアルな「居残り」なの
であった。川島雄三監督『幕末太陽伝』(日活)で、フランキー
堺が演ずる佐平次と比較してみたら、さらに一興かも。

さて、弊社はきょうが仕事納め。みなさま、良いお年を。

[筆・南葵亭樂鈷]

天皇象徴の日本と〈私〉 1940-2009

2009 年 12 月 24 日 木曜日

切手が伝えるマリアの図像学

2009 年 12 月 24 日 木曜日

子どもが描く世界

2009 年 12 月 24 日 木曜日

映画を通して知るイギリス王室史

2009 年 12 月 22 日 火曜日

いきなりドラマを面白くするシナリオ錬金術

2009 年 12 月 22 日 火曜日

ウレシイ献本。Don’t think, feel!

2009 年 12 月 21 日 月曜日

暮れも近づく師走二十一日。如何お過ごしでしょうか。

さて、郷里の先輩、詩人・林浩平氏より新刊書をご恵贈いただき
ました。タイトルは『折口信夫 霊性の思索者』(平凡社新書)
編集担当がこれまた愚生の知人・松井純氏。
林大兄によりますと、最後の最後まで鬼ような校正だった、と。

聞くだに、まるで荷風における校正担当・神代種亮のようです。
編集者の鑑です(嗚呼、見習いたい)。

ともあれ本書の内容がすごい。折口信夫研究の最新成果を踏まえ、
さらにそれを超出しようとする試み。
林氏は「ロック」の魂を体内に秘め、「折口」の魂を探っている。
分裂し炸裂し拡散する「声」と「音」。「音(サウンド)」に
身もだえしながら「ロック」に淫した者は、本書を繙かれるべし。
間違いなくウェットなドリームが訪れることでしょう。
折口の濃縮小説『口ぶえ』からの引用を孫引きしましょう。

「かひだるいからだを地べたにこすりつけて居る犬になって
見たい心もちがする」

そして、林氏がコメンテーターを務めたワークショップの冊子も
拝領。テーマは「《郊外》と《暴力》―パリ・プラハ・ブエノス
アイレス」。2009年7月5日、立教大学で開催された、大学人に
よる研究発表を纏めたもの。興味深く拝読いたしました。
〈格差〉と〈郊外〉、ますますテマティックな研究が拡がること
でしょう。

次は、元「スタジオ・ヴォイス」誌の編集長で、現在、岡山県立

大学で教鞭を執る瀧本雅志氏より訳書、ヴィレム・フルッサー
『デザインの小さな哲学』(鹿島出版会)を、初めて、アマゾン
経由の献本でご恵贈いただきました。ありがたいかぎりです。
本書は、「デザイン」を研究・実践する人には最良の本。見かけ
は「軽い」が密度は「濃い」。腹持ちがイイ本です。間違いない。

追記。先日、先述した林大兄と書籍企画の発展として、ジャム・
セッションをやりました。
林氏(ヴォーカル、ベース)
N崎氏(ドラムス)

H埜氏(ギター)
愚生(テナーサックス)
林氏は新品ベース持参で数十年ぶりのセッションとのこと。
愚生も十数年ぶりのセッションで、達者な学者先生リズム隊に背中
をグイグイ押されて、体内深くに秘めた「ジャズマン」の熾火が
猛烈に燃え盛ったのでありました。楽しき哉、ジャム!
2010年は「音(楽)」の年になるかもですネ。

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[筆・南葵亭樂鈷]

『ベッケル詩集』が読売新聞(12/20付)にて書評されました。評者は芥川賞作家の綿矢りさ氏!!共同通信社でも紹介記事配信されました。各地方紙に続々掲載!!

2009 年 12 月 21 日 月曜日

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現代のスペイン、ラテン・アメリカの文学は、詩は、19世紀のベッケルという詩人のこの一冊から始まったといわれている。『ドン・キホーテ』と並ぶスペイン文学の名作、本邦初訳。ベッケルについての平易な「解説」を付す。

「果たされなかった恋心を昇華させた彼の詩は、古典的ながらいまでも私たちの心をつかむ。通じ合えている相思相愛よりも、純粋な愛なのかもしれない。」(読売新聞12.20 評・綿矢りさ)

某古書店で購入した想像力をかきたてられる本

2009 年 12 月 19 日 土曜日

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私はよく昼休みに、会社の近所の某古書店に掘り出し物をさがしに行くのだが、最近購入した、高橋哲哉の『靖国問題』の最終頁の広告のところに、購入した後で、妙な張り紙が貼ってあることに気付いた。
その張り紙には、一番上に「私本閲覧許可証」と印字されており、その下には、「工場」「舎房」、そして「称呼番号1038番」、「氏名 高橋」、最後に「閲読許可 17年10月25日」と、日付のスタンプが捺してある。

そう、たぶんみなさんもう分かったと思いますが、そうなんです。この本はどうやら刑務所の受刑者が読んでいた本らしいのです。

ちょっと調べたところ「私本閲覧許可証」というのは、どうやら獄中の受刑者に、家族や弁護士が差し入れた本で、刑務官の検閲を通過したということで「閲覧許可証」が貼られているようです。

なんでそんな本がこの古書店にあるんだ…?
受刑者の称呼番号1038番の高橋さんが出所してきた後に売ったのだろうか…。
靖国問題を獄中で読む受刑者って、どんな人だろう……などと想像をめぐらしてみた。

あと最近よく見つけるのが、誰かが誰かに贈呈した本らしく、手紙が挟まった本。
欲しくもない本を贈呈されて、すぐに売りたくなる気持ちは分からなくもないが、せめて手紙は抜いてから売りましょう(笑)

あと、書き込みのある本。
これも結構面白かったりする。この書き込みをした、たぶんこの本を前に買って、そして売った読者の、熱心に読みふける姿、重要だと思う言葉に線を引いたり、色を付けたり…そんな姿が目に浮かびます。

やっぱり古書店って面白いですね。

新刊書店は最新の情報誌と、ピカピカの新刊書籍を吟味して買う場所ということでは、やはり一番なのだが、その本を売った読者、読んでいた読者を想像する楽しみは、古書店にしかない楽しみだなと、つくづく思う。

投稿者:春日俊一