今度、弊社から刊行予定の書籍に使用予定の写真の著作権者を探しています。

2009 年 11 月 30 日 月曜日

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以下の写真を年末頃、弊社より刊行予定の書籍に掲載したいと考えておりますが、20年以上前の写真であるため、著作権者が判明しません。著作権者ご本人か、その方をご存知の方がいらっしゃいましたら、当社の春日まで(住所:〒102-0071 東京都千代田区富士見2-2-2 Tell03-3234-5931)ご連絡お願いします。
なお著作権者を証明いただくために、原板のネガの提出をお願いすることがありますので、その点ご了承ください。

撮影された場所は法政大学で、「黒ヘル」の方達の写真がメインで、80年~90年頃撮られたものと思われます。

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以上ご連絡お待ちしております。

諸坂氏新刊

2009 年 11 月 27 日 金曜日

水声社で2004年12月に出ていて古本屋で安く売っていたため、持っていたものの、訳注も「英語・フランス語・ギリシャ語・・」と多言語入り乱れ、本文もたった8ページ程の「第一章 《枯渇の文学》再考」だけで挫折して、放って置いた「中島敦とボルヘス、あるいは換喩文学論の著者、諸坂成利先生の新刊が、水声社だと凝り過ぎて「中島敦生誕100年」の今年中に出るか怪しいということでか、小社から「中島敦「古譚」講義」として「本年中に」刊行されました。日販(11/30(月))書店以外は、本日11/27(金)トーハン栗田大阪屋太洋社、各取次午前中搬入、難波製本様にして頂いているため、大阪屋系書店のジュンク堂さんなどでは、おそらく本日夕方からぐらいから陳列されているのでは、と思われます。この書籍、やはり日本文学者の大御所の一人についての本だからか、小社にしては珍しく同じ取次の八木書店さんから「新刊追加「20冊」」のご発注お電話頂きました。いつも小社の本売れ行き悪いご迷惑かけてばかり?で恐縮な中央社さんは、いつもの常として今回「見本登録のみ」でしたが、今は無き鈴木書店系の「JRC」さんからも「新刊受注」が「23冊」予定から「28冊」に変更と、書店・取次全体の売り上げには、「少しは余波が・・・程度」かもしれないものの、若干のご期待を受けております。同じ生誕100年の太宰治には、売り上げ・刊行量では負けるものの、ここ一年①「中島敦 生誕100年、永遠に越境する文学 KAWADE道の手帖 河出書房新社 1,575円 200901月」、②「端正・格調高い文章を味わう中島敦 別冊宝島1625 中島敦著 宝島社 800200905月」、③「狼疾正伝 中島敦の文学と生涯 川村湊 著 河出書房新社 3,360円 200906月」、④「中島敦「山月記伝説」の真実 文春新書720 島内景二著 文藝春秋 798200910月」と関連本ポツポツと出ており、年内間に合わせるのか「せりか書房」さんからも「世界文学のなかの中島敦 ポール・マッカーシー/オクナー 深山信子 著 2100円」が出ると、送って頂いた「週刊読書人2009年12月4日号」の一面下広告(斜め上には、小社出稿広告が・・・)に出ています。とすると、競争激しいわけですが、小社、諸坂先生本、一応前の水声本よりは「多言語」(前よりは多分)出て来ない、講演基にしているので「読みやすい」というチラシでの前評判でしたが、やはり難解・・・とは言うものの、予備校の名物教師だった経歴もあってか「妙にモロサカ化していく学生がいる」と本文に訝しげに書かれているように、随所にコミック(機知)な楽しげ知性を振り撒き、サービス精神で書かれているところ多数あります・・・マンガの吉田戦車とからんだり、チェコの人形映画のシュワンクマイエル、チラりずむだったり。それが「宇宙論」だったり「宗教論」、「倫理論」、「文学論」だったりと、流し読みしたところ「ボルヘス」も読んだことなかったが、「面白そうだ」と思えたり、読みどころかなり深く=軽くある本のようです。とりあえず家にある「水声社」本を、また紐解いて見ているところですが、やはり難しい・・・。(玉崎)

中島敦「古譚」講義

2009 年 11 月 27 日 金曜日

みちくさ市で…

2009 年 11 月 24 日 火曜日

昨日11・23はじつにいい天気でしたね。
雑司ヶ谷・鬼子母神では「七五三」のお参り客と、
恒例「みちくさ市」のお客さんで大にぎわいでした。

愚生はいつものように「古書市」の個人店を廻りました。

工作舎のI氏と、ライター岡崎武志氏が仲良く並んで
出店しておりました。

とはいえ、残念ながら今回は個人店での収穫はゼロ。
でも、往来座で「ADRIB」(1974年秋号)「特集・ファンク
黒人音楽のすべて」を100円で入手。

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スティーヴィー・ワンダーやらスライやらハーヴィー・
ハンコックやら御大チャック・レイニー、そして稲垣次郎
まで微細に紹介。

そのC・レイニーにファンク・ベース奏法を伝授したという
女流ベーシスト、キャロル・ケイなる未知の方が紹介されて
おり、目からウロコ、啓蒙されたのでした。

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余談ですが、新チーム「NarakiAllStars」のユニフォーム
ができあがりました。モデルは辺戸炉丸陳根須さん。

[筆・南葵亭樂鈷]

『十六の墓標 (上・下)』が東京新聞(11/22付)の「ロングセラー」のコーナーにて紹介されました。

2009 年 11 月 24 日 火曜日

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連合赤軍事件はなぜ起こったのか? 女性リーダーが、自らの生いたち、学生運動から革命運動への道、共産主義化と同志殺害、逮捕後の苛酷な取り調べ、長期間にわたる裁判、闘病生活等を、獄中から描く手記。

「追い詰められた試行錯誤の行為と思惑が、かたくなだが正直な文章で詳細に描かれる。もう一人の指導者・坂口弘『あさま山荘1972』も版を重ねてり、時代の負の遺産も忘れずに読み継がれている。」(東京新聞11.22付より)

新型ドル恐慌

2009 年 11 月 20 日 金曜日

明日がわかるキーワード年表

2009 年 11 月 20 日 金曜日

芝居公演のご案内!

2009 年 11 月 19 日 木曜日

弊社刊行の哲学書エリザベト・フォントネ女史の『動物たちの沈黙』

の訳者の一人である石田和男氏が久しぶりに作・演出で芝居をやります。

みなさま、浅草までちょっと芝居を見に出かけてみてください。[筆・南葵亭樂鈷]

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《夢~D’ou viens-tu? Ou vas-tu ?》
「果たして、歌わない愛の賛歌は誰かの耳に届くのだろうか」

〈ルファ〉プロデュース公演
【会場】浅草木馬亭
【日程】2009年11月25日~11月27日

「四編のオムニバス作品を一本のヴァイオリン生演奏が紡ぐ」

作・演出にパルコ劇場『毛皮のマリー』の初演、再演のプロデューサー石田和男。
出演は、浅草の人気者プッチャリンや、映画、舞台等で活躍する加藤久雅、宮前希依などの役者陣。また、活動弁士、曲芸師、バレリーナ、また映画監督として『白日夢』をリメイクし話題を読んだ愛染恭子など、様々なジャンルの表現者が集結。
ヴァイオリン演奏・作曲に通称・MARO(NHK交響楽団・第一コンサートマスター)を迎え、浅草木馬亭という演芸場にて夢の狂演。

■料金・全席自由席(日時指定)
前売り 3,500円 当日 4,000円
プレビューのみ 2,000円

■公演日程(全5回公演)
11月25日(水)18:30~(プレビュー)
11月26(木)昼公演14:00~、夜公演18 :00~

27(金)昼公演14:00~、夜公演18 :00~(開場は開演30分前)
*当日券は1時間前より受付にて整理券配布予定

【チケット取扱い】
■ルファ
お名前・日時・枚数・ご連絡先を明記のうえ
lefarproduce@yahoo.co.jp
まで、ご連絡ください。

ドイツのゴシック小説

2009 年 11 月 19 日 木曜日

芝浦と場へ

2009 年 11 月 18 日 水曜日

昨日、芝浦と場(とじょう)に見学に行った。屠場とは、牛やブタを屠畜解体し、肉にするところだ。
正式には「東京都中央卸売市場食肉市場」という名称で、東京都の直営の施設になる。
ゲート近くのトラックに、たくさんの(まだ生きた状態の)牛たちが並んで乗っているのが見えたのにまずギョッとしたが、このような施設が品川駅から徒歩3分のところにあるというのも意外である。
屠畜の現場は、刃物を多く使っていることもあり見学できないことになっている。現場の詳細については『世界屠畜紀行』(内澤旬子、解放出版社)というルポがお勧め。詳細なイラストと文章で描かれており、芝浦と場についても詳しい。

前にいた出版社で、『いのちって何だろう』という本を作った。そのなかで、ニワトリを殺して食べる授業の是非を考える部分がある。先生が子どもたちと時間をかけて準備し、保護者への十分な説明や子どもたちの心のケアにも配慮した企画だったのに、直前でPTAと教育委員会の反対にあい、結局はつぶされてしまったという小学校の事例もあった。

死の体験から隔離されているいまの子どもたち(大人もだが)が、いのちを切実に感じるような教育として、自分たちが毎日食べているニワトリを屠畜する体験は何にも代え難いと、本のなかで村井淳志氏は言っている。

かくいう私は、海外旅行先で肉の入ったメニューを頼むと裏庭でトリが絞められる声が聞こえた、という程度の体験しかなく、昨日も屠畜現場は見学できなかったから、「そのとき」どんな感情を自分が抱くのかは、(こんな本を作ったわりには)実はよくわからない、という現代っ子である。
相当ショックを受け、大泣きすることは避けられそうにもないのだが。

それでも、解体されて枝肉となった大きな牛や豚のかたまりが、ずらーっとぶら下がっているセリを見学して、「生きた牛が、こうなって、これを食べているんだ」という当然のことが腑に落ちた気がする。

腑に落ちなかった点と言えば――。
森も野草も動物も、こうして大きなシステムのもと、大量に人間の役に立っている。そして生きている限り、他のいのちをいただかなくてはならない、という。生きるというのはそういうことだ、とまで言われることがある。でも、それなら人間は、他の命のために、無償で何か役に立っているのだっけ…、という点。

いままで、自分の食やいのちについて考えれば、屠畜の現場を見て、こうして動物が殺されている事実を知らねばならない、そこに否定的な感情をいだくのは大いなる自己矛盾だ!という理屈だけに押されていた自分だったが、やっぱり「感じる」部分を落として消し去ってはいけないのだと、思い知らされた。今回の見学は貴重な体験となった。
現場は、正しいと思ってきたことをやっぱり正しかったと確認しにいく場ではなく、どうしてもこぼれ落ちてしまうことがこんなにあるんだなあと感じる機会だと思う。
だから現場はおもしろいのだ。(出口)