編集部だより(No.15 2005・7)

2005 年 7 月 27 日 水曜日

祥伝社から柴田哲孝著『下山事件 最後の証言』が出ました! 定価が 2100円とやや高めですが(彩流社の本はもっと高いかもしれません)、ちゅうちょすることなく買いました。〈下山病〉という言葉があるそうですが、この問題の関連書はどれを読んでもついつい引き込まれてしまうのです。

従って、本が出ること自体はそれほど驚くことではないかもしれませんが、次のような新聞広告のコピーを見て、これはちょっと今までの本と少しちがうのでは? と思ってしまったのです。
「私の祖父は実行犯なのか? 約束しろ。おれが死ぬまで書くな! 祖父の盟友にして某特務機関の総帥は言った。真相を知る祖父の弟、妹、そして彼も没した今、私は当事者から取材したすべてを語ろう。」
読んでいるうちに、その予感は的中しました。といいますのは、以前(編集部だより No.9)、次のようなことを書いたことがあるからです。
「… 読みながら戦慄をおぼえ、ページをめくるのにドキドキした本があります。ほんの1ヵ月ほど前に読んだ森達也著の『下山事件(シモヤマ・ケース)』(新潮社)です。家人にその話をしたら、浅草キッドがホームページで同じような感想を書いていると教えてくれたので見ましたが、読後感は似ているのだな、と改めて驚きました。」
読み始めはちょっととまどってしまいました。『下山事件(シモヤマ・ケース)』と同じ内容が書かれていたからです。あれ? どうなっているのかと思いました。が、すぐ思い出しました。森達也の本に登場する映画監督の井筒和幸が森に紹介したネタもとの『彼』が著者だったのです。
これは一体どういうことだろう? しばらくページをめくりながら考えていました。全編452ページの長編ですが、197ページについに森達也の名前が出てきたのです。
「ところが2004年2月刊の森達也著『下山事件』の中に、唖然とするような寿恵子の証言が載った。その部分を引用してみよう。〈キャノンの部屋がライカビルにあったのよ。キャノン機関は知ってる?(中略) その謀略機関のボスだったキャノンと、亜細亜産業の総帥の矢板さんは大の親友でね、いろいろ一緒に仕事をしていたのよ。(中略)下山さんが三越から失踪したその日のことははっきり覚えてる。兄も矢板さんも佐久間も、とにかく誰も出社してこなくてね、確か次の日も来なかったはずよ。下山さんが行方不明になったというラジオのニュースを聞いて私は妙に胸騒ぎがしてね、次の日の朝、轢死体で発見されたと朝刊で読んで直感したのよ、これはみんながやったんだって〉
森達也はこの部分を「彼」の大叔母の証言として書いている。つまり、それを森に話したのは「私」ということになる。だが寿恵子は、キャノンの名前さえ知らなかった。まして矢板玄の親友であり、いっしょに仕事をしていたことなど知るわけがない。」
320ページにも次のような文章がでてきます。

「…だが数年後、森達也は、ナッシュ(外車)に関してどんでもないことをしでかすことになる。2002年2月20日に新潮社から発行された『下山事件』に、次のような一文がある。〈あらかじめ用意しておいた写真を僕は鞄からとりだした。41年型のピュイック。しばらく写真を眺めてから、「ちょっと違うような気がするなあ」と彼女はつぶやいた。「ええ、違うの?」率直な落胆を声に滲ませながら、『彼』がテーブルの上に身を乗りだした。「全体はよく似てるけど、後ろの方がもっと翼のように広がっていたのよね。鳥の羽みたいに。珍しい形だったから、それだけははっきりと印象に残っているのよ」〉
これはもちろん私と斎藤(茂男)、さらに森達也が母の店を訪ねた夜の話だ。“僕”とは森達也自身、“彼女”は私の母、『彼』は私である。ニュアンスが徴妙に違う。森が41年型のピュイックの写真を持っていた事実はない。…私は最初にこの一文を読んだ時、開いた口がふさがらなかった。明らかな証拠の、証言の捏造ではないか。」
最初に見た「参考文献」の主要作品に森達也の本ではなく、朝日新聞から刊行された諸永祐司著『葬られた夏 追跡下山事件』があげられていたことも気になっていました。というのは森達也が『下山事件(シモヤマ・ケース)』で、この本の刊行について何の連絡もなかったことを出版局にたいして抗議したと書いているからです(『葬られた夏』の初出は「週刊朝日」の連載で、森が著者で諸永が編集者という関係だった)。
今回は、柴田哲孝が森が了解をとらずに本を刊行したことを批判しているというように読めます。これは明らかに彼らの間で『下山事件』刊行を巡って内ゲバに近いことが起こっていたことを示しています。
ともあれこれらの本によって〈下山事件〉は大きく前進したようにも思えます。諸永祐司や森達也らの本でぼんやりした事件の輪郭が浮かび上がってきましたが、これらの本のネタもとの当人がそのベールを脱いだことによって、その輪郭がより鮮明になってきたからです。
〈下山事件〉との関わりを噂されていた占領軍の諜報機関であったキャノン機関、そして「亜細亜産業」(上記の矢板玄はここの総帥で、著者柴田哲孝の祖父はキャノンお気に入りの主要な社員、大叔母の寿恵子も事務員)とそこに出入りした人物が明確になったからです。
社名は満州鉄道の「アジア号」という特急列車名から取ったこと。矢板玄の父親らは満州鉄道の敷設に関係し、東武鉄道の大株主であったこと。事件が満鉄、国鉄、東武鉄道――下山国鉄総裁の轢断現場が国鉄と東武伊勢崎線の交差地点だった…。吉田茂、岸信介、佐藤栄作、迫水久常、西尾末広、白洲次郎、田中清玄、児玉誉士夫、伊藤律…ら政界、財界、右翼、左翼の大物が出入りしていた。このことは、敗戦直後の吉田内閣の成立に関わっていたことを示しており、A級戦犯の岸信介(彼は満州経営に深く関わった)の釈放にも関係していた…などなど大変な事が書かれています。
これらの本はすべて下山事件は〈他殺〉であるという説を追究したものですが、最近ではめずらしい〈自殺〉説に迫った雑誌もありました。『文藝春秋』の2005年6月号の「心の貌 昭和事件史発掘 2」の「下山事件 追い詰められた経営者」の柳田邦男と辻井喬(堤清二)の対談です。

最後になりましたが、彩流社と深い付き合いのあった二人の方が急死されたことを報告しておきます。ひとりは創立時からブックカバーを担当されたデザイナーの原田健作さんです。依頼した次の日にラフデザインをつくることの出来た大変貴重な人でした。デザイナーとしての生成過程がほかのデザイナーとはちょっと違っていました。来社された次の日に亡くなるという突然死でした。最近では写真集を2点お願いしました。『写真で歩く世界の町並み』『チュニジアン・ドア』です。

もうひとりはアフリカ研究家として著名だった白石顕二さんです。虫の知らせなのか亡くなる直前に電話があり、近く会おうという話をしていました。愛知万博の「アフリカ共同館」の公式カタログ制作のディレクターを務め、かなり苦労して作ったそうです。亡くなる直前に発送したらしく社にそれが送られてきました。彼のデスクには私が送った出版目録があったそうです。かつて『ブラック・アフリカの映画』という翻訳書を作りました。
心よりご冥福をお祈りいたします。(K.S)

アソーレスの黒い火山島

2005 年 7 月 20 日 水曜日

変貌するアメリカ太平洋世界(全6巻)

2005 年 7 月 20 日 水曜日

シベリア・グルジア抑留記考

2005 年 7 月 20 日 水曜日

漢字の生態学

2005 年 7 月 19 日 火曜日

男泣きスタジアム!激動のパ・リーグ編

2005 年 7 月 4 日 月曜日

『男泣きスタジアム!激動のパ・リーグ編』表紙\
書籍名   : オフサイド・ブックス39
男泣きスタジアム!激動のパ・リーグ編
(オトコナキスタジアム!ゲキドウノパ・リーグヘン)
著者名   : オフサイド・ブックス編集部
(オフサイドブックスヘンシュウブ) 編
発行日   : 2005-05-05
税込価格 : ¥1680
本体価格 : ¥1600
画像をクリックすると紹介文が読めます(注文もできます)。

★週刊ベースボール」石富仁 7.4号
「この本、一言でまとめてしまえば『コアなパ・リーグファンのためのファンブック』だろうか。昨年の球界再編問題と同質の問題をはらむ、1970年代の東映、西鉄の球団譲渡問題に端を発したリーグ再編問題を掘り起こしたり、消えた球団へのオマージュを熱く語ったり、いかにもパ・リーグ的なキャラクターを研究したりと、内容は実にバラエティに富んでいる。まあ『パ』を愛する複数の著者が好き勝手書いているので、正直なところ、一冊の書籍としてはまとまりを欠いているキライもあるのだが、その無秩序ささえも魅力になっているという変な本なのだ。著者たちに共通しているのは、『パ』への熱い思い入れ。その熱気は『パ』初心者は暑気あたりするのではないかと心配になるほどで、交流戦でパ・リーグに興味を持ち始めたという人の『パ』入門書というわけにはいかない。本書はまず生粋の『パ』ファン、特に西武ライオンズ誕生以前からのファンにこそ楽しんでもらいたい。たとえば『球場を格闘場に変えるオトコ・山本八郎』なんて、それこそコアな『パ』ファン以外にはわかりにくい実にディープな題材が扱われていたりするのだ。もちろんコアな『パ』ファンでなくても楽しめるものもいくつかある。川崎球場を中心にしたいかにも『パ』らしいヤジの研究などは、日本のヤジ文化を考える上で、また両リーグの選手とファンの距離の違いを考える点でも参考になるはずである。少々クセはあるが、一度ハマったらやみつきになる味。そんな『パ』を徹底的に礼賛した本書も、『珍味』としてビール片手に読むのが似合いそうだ」

アジア太平洋環境の新視点

2005 年 7 月 4 日 月曜日

近世ポーランド「共和国」の再建

2005 年 7 月 4 日 月曜日

幼年論

2005 年 7 月 1 日 金曜日

『幼年論』表紙\
書籍名   : 幼年論 21世紀の対幻想について
(ヨウネンロン)
著者名   : 吉本隆明、芹沢俊介
(ヨシモトタカアキ、セリザワシュンスケ) 著
発行日   : 2005-06-20
税込価格 : ¥1680
本体価格 : ¥1600
画像をクリックすると紹介文が読めます(注文もできます)。

★『東京新聞』『中日新聞』9.4
「消滅寸前の幼年」には人間を根源から解く鍵がある、としながら語り合う全九章の対談。「軒遊び」ができない時代と引きこもりにふれた吉本の発言や、太宰治、夏目漱石、そして天皇の家族をめぐる議論が印象的。「幼年」とは「母親が傍らにいることが必要な時期」と芹沢は述べ、「軒遊び」の大切さを語る吉本の言葉と通じ合う認識を語る。副題に「21世紀の対幻想について」とある」

★瀬尾育生、中国新聞ほか共同通信配信
「乳児期のあとにやってきて、やがて学校という「社会」に出てゆく手前の時期竏窒サれが幼児期である。「家遊び」と「外遊び」の中間の、いわば「軒遊び」の世界。/乳児はまず母親から、自らの「存在」への無条件の肯定を受け取る。幼児期は、この存在肯定の上にたって、そこから生きることを始める時期だ。そのとき母親は「そばにいる」。幼児期とは「母親が傍らにいる必要のある時期、時間」である、という定義が、この対談の出発点になっている。/私たちはふだん、自分が「一人の人間」であることを出発点にして、他人や社会との関係を考えている。そういうとき幼児期は、私たちの意識の背後に追いやられている。だが幼年期とはほんらい、私たちが「一人の人間」になるまえの、その土台をつくる時期なのだ。
/ところでいま私たちは幼年期を失いつつある。自分の幼年期がどういうふうだったか、もうだれも思い出さない。子供に対しても私たちは、大人になってしまった自分の感覚を押しつけているだけなのかもしれない。/おまけに現在、教育や社会が、子供との関係の中にあまりに早く入り込むので、大人たちは子供に存在肯定を与えるゆとりも、ただ黙って子供の傍らにいる時間も持てなくなっている。「引きこもり症」はある意味で、幼年期が失われたことへの代償行為なのだ、という吉本の指摘はするどい。
/幼年期について考えるということは同時に、ふつうの大人の言葉や論理によっては考えにくいような、人と人の関係の、深い陰影の世界について考えることでもある。なぜある人には無条件な親しみを感じるのに、他の人との関係は疎遠さからしか始まらないのか。兄弟姉妹を支配している情感の濃淡とは何か、日本は現在にいたるまで、深層においては女系社会なのではないか、等々。
/この本はそれらの世界を、対話者自らの体験的な記憶や、漱石や太宰の文学作品、柳田国男や折口信夫の知見などのなかに探ってゆく。「一人の人間」であることを出発点とした私たちのふだんの思考からは、決して触れられないような世界の感触を、ありありと思い出させ体験させてくれる。」

初稿 チャタレー卿夫人の恋人

2005 年 7 月 1 日 金曜日

『初稿 チャタレー卿夫人の恋人』表紙\
書籍名   : 初稿 チャタレー卿夫人の恋人
(ショコウチャタレーキョウフジンノコイビト)
著者名   : D.H.ロレンス(D.H.ロレンス) 著
増口充(マシグチミツル) 訳
発行日   : 2005-05-10
税込価格 : ¥2940
本体価格 : ¥2800
画像をクリックすると紹介文が読めます(注文もできます)。

★「書標」(ジュンク堂)7月号
あの「チャタレー」に幻の初稿が存在した!! もうそれだけで、興奮するではないか。わくわくする手で美しい装丁の扉を開き、私はもう一人のチャタレー夫人の恋人に会いに出かけた。作者のロレンスは、推敲しながら作品を仕上げるのではなく、初稿を書き上げると、また一から第二稿を書き始めるという稀有な作家だ。それゆえ、現在知られている第三稿のチャタレーと本作品は似てはいるが、全く異なる物語になっている。醜聞が純愛に、とでも言おうか。初稿ではコンスタンスは貞淑な貴婦人であり、優しい魅力にあふれている。森番は方言まるだしの、荒々しい風貌の抗夫で、最後は共産主義に走る。互いに憎悪と嫌悪を抱きながら、どうしようもなく惹かれあう二人、そしてその間にある階級という壁。性描写は三稿に比べるとほぼなく、ただコンスタンスと森番の会話から推察される程度だ。だが、それが逆に生々しかった。忠実に訳された方言が、この愛の本質を語っている。労働者と支配階級、永遠のテーマだ。初稿で、ロレンスが描きたかったのは性ではなく、生ではなかろうか。どうしてコンスタンスは、森番を必要としたのか。なぜ森番は、コンスタンスと一緒になることをあれだけ拒んだのか。私はそこに革命前の労働者が放つ、痛々しいまでにまっすぐな、生命の輝きを感じる。支配階級が恐れながらも魅了されたその力に、現在の読者も虜になる。チャタレーを読んだことがある人も、ない人も、これはお勧めの一冊。」(天)