焼肉横丁を行く

2005 年 6 月 28 日 火曜日

20世紀末イギリス小説

2005 年 6 月 25 日 土曜日

『20世紀末イギリス小説』表紙\
書籍名   : 20世紀末イギリス小説 アポカリプスに向かって
(20セイキマツイギリスショウセツ)
著者名   : 木村政則(キムラ マサノリ) 著
発行日   : 2005-03-10
税込価格 : ¥2625
本体価格 : ¥2500
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★『図書新聞』05.6.25 大熊榮
「物語世界への優れた水先案内人。木村政則氏の文章が喚起するイメージはそのようなものだ。ここに案内されている物語は主として五つだが、書き手の本領が発揮されているのは、クリストファー・プリーストの『極限』をめぐる文章のように思う。それはなによりもまず、読んでいて面白い。なにが面白いのかと言えば、われわれの生活がますますサイバースペースの中で営まれるようになっている現実を、あらためて反省させられるからだ。」

初期オペラの研究

2005 年 6 月 24 日 金曜日

『初期オペラの研究』表紙\
書籍名   : 初期オペラの研究 総合舞台芸術への学際的アプローチ
(ショキオペラノケンキュウ)
著者名   : 丸本隆(マルモトタカシ) 著
発行日   : 2005-05-10
税込価格 : ¥3675
本体価格 : ¥3500
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★小宮正安『読書人』05.6.24

「本書の特徴をあげるとすれば、まずは執筆者の研究分野が実に多彩である点だ。音楽学の研究家はもとより、演劇学、文学、歴史学、文化学と、まさに百花繚乱の感がある。序章でも述べられているとおり、オペラはその時々の時代を映し出す総合芸術であったにもかかわらず、従来の研究はおもに音楽の範疇に的をしぼったものが多かった。だがそれだけでは、本当の意味でオペラを論じたことにはならない。そこで年齢も研究テーマも様々な研究者が集まり、オペラのルーツを探り始めたというわけである。狭い学問領域を超えて相互交流をはかることが下手くそなわが国の研究界にあって、画期的な試みである。多彩な執筆者の顔ぶれを踏まえてか、本書では17・18世紀に誕生した様々なオペラ作品やその上演形態を、年代順に紹介するのではなく、テーマに分けて分析するという方法をとる。3つの章立てからなり、それぞれ「バロック・オペラ再考」「オペラ/音楽劇の理論的解明」「オペラ/音楽劇のジャンル的考察」という表題を戴いている。とはいっても、これらは一応のくくりであって、各章に修められた論文は実にもってヴァラエティー豊かだ。一読して分かるのは、宮廷文化と密接に結びついた存在であったがゆえに、現在ではほとんど上演されることのない初期のオペラが、じつは現代にも通用するテーマを抱えているという意識である。こうした意識をそれぞれの執筆者がしっかりと持っているため、初期のオペラが過去の遺物などではなく、現在を映す鏡であることに読み手は気づかされる。」

漱石の「仕事論」

2005 年 6 月 23 日 木曜日

アメリカ 大国への道

2005 年 6 月 22 日 水曜日

幼年論

2005 年 6 月 17 日 金曜日

チュニジアン・ドア

2005 年 6 月 15 日 水曜日

吉本隆明・芹沢俊介『幼年論』の??立ち読み?≠

2005 年 6 月 10 日 金曜日

遅れに遅れておりました吉本隆明・芹沢俊介対談『幼年論竏?21紀の対幻想について』、いよいよ刊行となりました。だいたい6月20日頃には書店の店頭に並ぶと思いますが、そのまえに吉本さんの「まえがき」と芹沢さんの「あとがき」の一部を「立ち読み」してみてください(目次は書名をクリック)。

▼「まえがき」より
……幼児期の内働きの主役であった母親の授乳と排泄から学童期にいたる間に、とくに「軒遊び」の時期を設定してみせた柳田国男の考え方は、たんに民俗学や人類学の概念の基礎を与えただけではない。存在論の倫理としていえば、母親による保育とやがて学童期の優勝劣敗の世界への入り口の中間に弱肉強食に馴染まない世界が可能かも知れないことを暗示しようとしているともいえる。そして誰もが意識するか無意識であるかは別として、また文明史がそれを認めるか認めない方向に向うかは別として、この中間をもつことは人間力の特性につながっていると思える。……

▼「あとがき」より
……幼年とは、私たちの定義からすると、母親が傍にいることが必要な時期である。母親の存在を傍らに感じているとき、子どもは安心して、安定的にひとりになることができる。ひとりになれるということは、「軒遊び」の時間を過ごすことができるということを意味する。
だが現在、子どもたちは社会においても家族においても、このような幼年期の核となる軒遊びの時間を生きることが困難になってきている。子どもは生まれて間のない時期から〈ある〉ことだけでは許されず、いつも教育のまなざしのもとで何か〈する〉ことを求められるのだ。幼年という子どもの時間が子どもたちに保証されがたくなったのである。極端にいうと、幼年という概念はいまや消滅寸前である。
それほどまでにないがしろにされている幼年期が、人が人間になっていくためにいかに大切かということをめぐって、対談はおこなわれている。そして一言付け加えるなら、この幼年についての議論は、対幻想論の新しい裾野に確実に触れているはずである。……

【05.6.10オフサイド通信・杉山】

ダイヤモンドと火打ち石

2005 年 6 月 6 日 月曜日