自然と文学のダイアローグ

2004 年 9 月 25 日 土曜日

『自然と文学のダイアローグ』表紙\
書籍名   : 自然と文学のダイアローグ
国際シンポジウム沖縄2003…都市・田園・野生
(シゼントブンガクノダイアローグ )
著者名   : 山里 勝己、高田 賢一ほか
(ヤマザトカツノリ、タカダケンイチ) 編
発行日   : 2004-09-15
税込価格 : ¥2940
本体価格 : ¥2800
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★「沖縄タイムス」04..25 岡本恵徳
「アメリカの詩人ゲーリー・スナイダーをメーンゲストに韓国、台湾、日本の優れた詩人や作家、研究者を招いて、琉球大学で開かれた〈ASLE-Japan/文学・環境学会〉主催の国際シンポジウム「自然─都市、田園、野生」の記録が本書である。さまざまな議論をまとめた本書には、それだけに文学や環境問題についての興味深い発言が多数見られるが、ここでは評者の印象に残った二、三を取り上げることで書評に代えたい。その一つは、「環境文学研究」が手付かずの「原生自然」に留まらず「都市の自然」や「田園」にまで視野を広げているという指摘と、そのことと関連するカレン・コリガン=テイラーの「レフュージ」(安らぎの場)を見直そうとする発言であった。また、スコット・スロウィックの紹介した「感覚のエコロジー」や崎山多美の発言は、それぞれ文学を考える上で示唆に富むと思う。これらの詳細については本書を手にとって貰うしかないが、中でもとりわけ印象に残ったのは、森崎和江も言及したが、山城新の「環境正義」(この語句にはいささか違和感がある)という言葉を「語り」の問題とかかわらせる発言であった。そこで山城新は、安里清信の金武湾反CTS闘争の記録『海はひとの母である』を取り上げて、その語りが「複数」であることに「金武湾の闘いを多元化しよう」とする試みを読み取り、「環境問題だけではなくそれを語る環境言説の類型化を避け、極めてラディカルな形で環境をめぐる言説の再編成を試みている」と指摘する。これは例えば、映像の面での比嘉豊光や村山文江たちの試み「島クトゥバで語る戦世」に通底する重要な指摘として興味深い。今沖蝿は、辺野古沖への米軍基地建設や泡瀬干潟埋め立て問題など多くの自然破壊の危機を抱えている。その時期に人と自然とのかかわりを根元から考える本書が公刊されたことの意味は極めて大きい」。

はじめてのボディメイク

2004 年 9 月 21 日 火曜日

グレアム・グリーン文学事典

2004 年 9 月 21 日 火曜日

写真で歩く世界の町並み

2004 年 9 月 21 日 火曜日

ラフカディオ・ハーンの思想と文学

2004 年 9 月 14 日 火曜日

◆世の出来事とウチの本:プロ野球再編と『プロ野球毎日が名勝負読本』(オフサイド・ブックス15)

2004 年 9 月 10 日 金曜日

本書は、1年366日、その日プロ野球界で何が起こっていたかを集めた本ですから、当然今日の再編騒動につながる記事満載です。索引もかねた年表を見れば、プロ野球史も一目瞭然。チームの変遷と監督・順位もわかる表もついています。人名索引もありますから、「渡辺恒雄」サンを調べることもできます。→たとえば11月7日(2000年)、「ナベツネ暴言」が不当労働行為だと国会で問題になっていたようです(他は略しますが、暴言・妄言のいくつかを読むことができます)。
また、最近合併ということでしばしばとり上げられる「高橋ユニオンズ」ならびに佐々木信也さんは「10.8」に登場します。そこを読むと、当時パ・リーグでは勝率3割5分を割ると制裁金が科せられていた、なんてこともわかります。2月26日(56年)には、ユニオンズ解散の悲惨な模様が……。
小さい記事ですが、73年2月7日にはこんなことがあります。「ロッテ・オリオンズも本拠地東京球場を失って??ジプシー球団?≠ニ呼ばれるなど、このころパ・リーグは、リーグ消滅が取り沙汰されるほど受難続きだった(ロッテと大洋の合併説まであった)」。……今から30年も前のこととは思えませんね。ちなみにこれを読んでいた小生は、今年の7.7、西武・堤さんが「もうひと組の合併」を示唆したとき、「ロッテ+横浜なので1リーグ」という筋書きなのかと思いました(違ってたけど、まだわからない?)。
堤さんといえば、この方も「(当時の森)カントクが来年もやりたいようだから、やらせてあげれば」などいう暴言を吐いてますね。もちろんこの「事件」も載ってます(10月19日/89年)。
きりがないのでこのへんにしますが、ぜひ、ご一読を。
【オフサイド通信04.9.10杉山】

アテネオリンピック、久々の日本選手大活躍! だが、プロ野球は!?(news049)

2004 年 9 月 8 日 水曜日

今回のオリンピックのメダルラッシュ、種目別で明暗を分けたと言って良いだろう。期待された水泳陣は、期待通りの成績を挙げ、かつての日の丸を背負った本番に弱いというイメージを払拭し、女子800メートルでの柴田選手の活躍は日本水泳界の実力が底上げされている事を証明した。体操の団体優勝も長い低迷期からやっと抜け出せそうだが、これも長期の戦略的プランと科学的強化の結果のようだ。同様に陸上でも強化の成果が出始めているが、特に女子マラソンでは強化方法だけでなく、駅伝に見られるように全国的にランナーの層が厚く、その頂点が世界のトップクラスに伍していることの証であろう。
かつて東洋の魔女と言われ、日本のお家芸のひとつであったバレーボールは涙を飲んだ。オリンピック出場に導いた柳本監督の手腕は評価されるべきだが、選手層がまだまだ薄い。期待の新人が現れレギュラーになれば、それがそのまま全日本である。かつてサッカーのジャパンはほとんどが固定メンバーであった。フランス大会では、カズがはずれる事が話題になるほどだった。だが、トルシエ・ジャパンでは監督の戦略・戦術にあわせて人選ができる状態まで選手層の厚さと技術水準を上げた。さらに現在のジーコ・ジャパンでは、選手の特徴と技術に合わせ、同時に対戦相手に合わせた監督の戦略に見合う選手を選ぶところまできている。従って、レギュラー代表選手は決まっていないのである。だが、ほとんどの人が、ジャパンはそれで良いと今は考えている。
さて、シドニーの汚名を晴らすべく組織された長島ジャパン、監督不在のチーム故、銅メダルも仕方ないとしても、やはり“井の中の蛙”だったのではないか。アメリカの出場しない大会で、優勝しても誰も世界一とは思わない。かつて本当のワールドシリーズは日米決戦だなどといっていたプロ野球界も、今や球団合併で経営再建などという体たらくである。球団としての経営努力がどれだけされたのか、パイが小さくなれば、それを分ける仲間を少なくしようという発想は、衰退への第一歩である。球団数が減り、試合数も減れば観客も減る。そしてプロ選手への道が狭くなればなるほど、底辺も先細る。
目先の利益にとらわれ、長期的な展望もなしに企業エゴだけで進むとすれば、プロ野球も今や見るも無惨な企業スポーツ(バレーボール、バスケット、社会人野球など)と同じ道を歩むだろう。
スポーツはその国の文化でもあるという。そうであるならば、参加者を増やし、観戦者を増やす方法を考えなければならない。
陰りがあるとは言え、経済大国日本である。それに見合うスポーツ日本でありたい。(9月8日)

アテネオリンピック、久々の日本選手大活躍! だが、プロ野球は!?(news049)

2004 年 9 月 8 日 水曜日

今回のオリンピックのメダルラッシュ、種目別で明暗を分けたと言って良いだろう。期待された水泳陣は、期待通りの成績を挙げ、かつての日の丸を背負った本番に弱いというイメージを払拭し、女子800メートルでの柴田選手の活躍は日本水泳界の実力が底上げされている事を証明した。体操の団体優勝も長い低迷期からやっと抜け出せそうだが、これも長期の戦略的プランと科学的強化の結果のようだ。同様に陸上でも強化の成果が出始めているが、特に女子マラソンでは強化方法だけでなく、駅伝に見られるように全国的にランナーの層が厚く、その頂点が世界のトップクラスに伍していることの証であろう。
かつて東洋の魔女と言われ、日本のお家芸のひとつであったバレーボールは涙を飲んだ。オリンピック出場に導いた柳本監督の手腕は評価されるべきだが、選手層がまだまだ薄い。期待の新人が現れレギュラーになれば、それがそのまま全日本である。かつてサッカーのジャパンはほとんどが固定メンバーであった。フランス大会では、カズがはずれる事が話題になるほどだった。だが、トルシエ・ジャパンでは監督の戦略・戦術にあわせて人選ができる状態まで選手層の厚さと技術水準を上げた。さらに現在のジーコ・ジャパンでは、選手の特徴と技術に合わせ、同時に対戦相手に合わせた監督の戦略に見合う選手を選ぶところまできている。従って、レギュラー代表選手は決まっていないのである。だが、ほとんどの人が、ジャパンはそれで良いと今は考えている。
さて、シドニーの汚名を晴らすべく組織された長島ジャパン、監督不在のチーム故、銅メダルも仕方ないとしても、やはり“井の中の蛙”だったのではないか。アメリカの出場しない大会で、優勝しても誰も世界一とは思わない。かつて本当のワールドシリーズは日米決戦だなどといっていたプロ野球界も、今や球団合併で経営再建などという体たらくである。球団としての経営努力がどれだけされたのか、パイが小さくなれば、それを分ける仲間を少なくしようという発想は、衰退への第一歩である。球団数が減り、試合数も減れば観客も減る。そしてプロ選手への道が狭くなればなるほど、底辺も先細る。
目先の利益にとらわれ、長期的な展望もなしに企業エゴだけで進むとすれば、プロ野球も今や見るも無惨な企業スポーツ(バレーボール、バスケット、社会人野球など)と同じ道を歩むだろう。
スポーツはその国の文化でもあるという。そうであるならば、参加者を増やし、観戦者を増やす方法を考えなければならない。
陰りがあるとは言え、経済大国日本である。それに見合うスポーツ日本でありたい。(9月8日)

新選組 多摩党の虚実

2004 年 9 月 7 日 火曜日

越境するトポス

2004 年 9 月 3 日 金曜日

『越境するトポス』表紙\
書籍名   : 越境するトポス 環境文学論序説
(エッキョウスルトポス)
著者名   : 野田研一、結城正美(ノダケンイチ、ユウキマサミ) 編
発行日   : 2004-07-31
税込価格 : ¥4725
本体価格 : ¥4500
画像をクリックすると紹介文が読めます(注文もできます)。

★英語青年 05年1月号 笹田直人
「本書は、ネイチャーライティングやエコクリティシズムなど、日本での「環境文学研究」のさらなる展開をめざして編まれた論文集である。…野田氏は「序」で吾国の環境文学研究が第二段階にさしかかっていると指摘し、「ジャンル論としても文学理論としても輸入品の域を出なかった諸要素を、真に日本における文学ジャンル、文学研究の方法論として定着させる」こと、この分野の作品を「享受できる読者層を見いだし、息の長いジャンルとして日本的に成熟させる」ことの必要性を熱く静かに説く。実際、この論集の扱う作家のうち、生田論文が三木卓・石牟孔道子・内山節、野田論文が藤原新也、小谷論文が林京子、山里論文が宮沢賢治、結城論文が石牟礼、高田論文が戸川幸夫・宮沢、山城論文が柳田国男・森崎和江・堀江謙一、アレン論文が石牟礼という具合に、半数以上が日本の作品を検討している。いずれも、アメリカ文学との比較文学的視座に立ちつつ、「場所の感覚」「人間中心主義批判」など環境文学研究の核を成す主要な批評題目から読み親しんだ日本文学に新しい光をあてており、新鮮な読みと日米文学の喜ばしい邂逅へと読者を導いてくれるだろう。「トポス」とは、定型の表現形態の謂いでもあるが、また引き出されるべき表\\現の隠された場所の謂いでもある。本書は、『越境するトポス』という書名に相応しく、そうした場所を求め種々のディスプリンを越境する真率な探求の書である」。

★週刊読書人 9/3

「伝統的な文学研究では主題はもっぱら文明社会における人間存在の意義に終始してきた。そのようなアプローチでは現在進行しつつある環境危機には対処できない。環境危機は文明や文化の危機であり、同時に私たち人間性の危機でもある。というのも地球上に住むただ一つの種にすぎないホモサピエンスの、倣慢ともいえる営みがその大きな要因であるからだ。環境文学は従来の文学研究の反省に立ち、自然や環境の視点から私たちの文明の質を問い、私たちの生き方を問い直す。日本に紹介されてまだ10年余り、若い文学研究の分野である。環境文学という場合、一般的に知られているネイチャーライティング(人間と自然をめぐるノンフィクション、エッセイ)に小説、詩、演劇をも合むジャンルを指す。本書の意義を「場所の感覚」、「日本文学へのアプローチ」、「アメリカ人研究者の寄稿」という観点から紹介したい。本書には十三の論考が収められているが、そのほとんどが「場所の感覚」に関するものであることに注目したい。場所の感覚とは、「場所」についての意識をいっそう深化させたもので、場所を生態系ばかりか歴史や文化をも含めた複合体として捉え、そこの共同体の一員として根づくことによって初めてアイデンティティが確認されるという考え方である。アメリカ文学で言えば、ソ\ローの『森の生活(ウォールデン)』がその原型となり、日本文学で言えば、石牟礼道子の『苦海浄土―わが水俣病』は、逆に愛すべき場所が高度成長とともに崩壊していった遇程を描いている。本書の執筆陣の顔ぶれから、英米文学論が予\想されたが、タイトル『越境するトポス』(トポス=自然をめぐる言説)にあるように、トポスは各地、各領域に越境する。執筆陣自身が自らの文学研究を越境し、日本文学の読み直しを強く迫っているのが本書の特徴である。その対象は野尻抱影、三木卓、石牟礼道子、内山節、藤原新也、林京子、宮沢賢治、戸川幸夫等、実に多彩だ。そこにアメリカの作家ミューア、ステグナー、スナイダー、テリー・テンペスト・ウィリアムス、スコット・ラッセル・サンダーズ、ゲーリー・ポール・ナブハンが入り混じり、さらに海洋文学と動物文学に関する論考が加わって、一大「環境文学論序説」が展開する。アメリカ人研究者の寄稿はどれもそつなくまとまりがある。特にスロヴィックの「Xのなめらかな表皮をめくると」は、サンダースやナブハンのもつグローバリズムの間題点を分析したものである。アメリカではグローバリズムまでもが文学研究の対象となっていることに驚かされる。本書に関心をもたれた方に、次のような環境文学からのメッセージを紹介しよう。「自分がどこにいるかを知らなければ、自分が誰であるかわからない。」「私たちは場所を語る語彙をもっとゆたかにしなければならない。」あるシカゴの動物園の出口には、大きな姿見の鏡が掛っている。その上に「今あなたが見ているのは、地球上で最も凶暴\な動物です」と書かれている。環境文学研究が必要とされる時代が到来したようだ。」