トナカイ牧畜民の食の文化・社会誌

2003 年 4 月 28 日 月曜日

侍女

2003 年 4 月 23 日 水曜日

文学の構造

2003 年 4 月 23 日 水曜日

西郷と横山安武

2003 年 4 月 19 日 土曜日

『西郷と横山安武』表紙\
書籍名   : 西郷と横山安武 明治維新の光芒
(サイゴウトヨコヤマヤスタケ)
著者名   : 清水昭三(シミズショウゾウ) 著
発行日   : 2002-12-25
税込価格 : ¥1995
本体価格 : ¥1900
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★「図書新聞」03.4.19

(清水昭三著 1900円 03年1月刊)「安武は鹿児島藩士森有恕の四男として生まれた。弟の有礼が家を継ぎ、後の文部大臣森有礼となる。なぜ末子が、と思うだろうが、長男有秀は禁門の変の戦陣で没し、次男喜八郎は青山家の養子となったが26歳で病死、安武も横山家の養子となり、家をでていた。有礼だけが森家に残ったのだ。安武は薩摩藩校造士館を首席で卒業、藩主の弟忠経の補導役に抜擢され、ともに佐賀弘道館、山口明倫館に学ぶが、職を免じられて上京する。明治3年7月、明治政府の混迷と世情の不穏に危機感を抱き、建白書を起草、添書として征韓および蝦夷(北海道)開拓の不当を批判、衆議院門扉にかかげて、自刃する。28歳だった。横山安武の平和思想は薩英戦争を目撃したからである。外国をいたずらに非難するのではなく、外交交渉によって局面を打開すべきであるとの所論は、陽明学を学んだ彼が広い視野をもった人物であったことを物語る」

★山梨日日新聞・田所泉
「明治3年の7月、東京の「集議所」に建白書を提出したあと、近所の路上で割腹自殺した男がいた。男の名は横山安武、ときに28歳、薩摩出身、のちの初代文部大臣、森有礼の実兄である。建白書は十ヵ条、政治家や官僚の腐敗を糾弾し、外交・内政の失政を批判したものだが、割腹はむろん異例である。著者はこれを「抗議の諫死」とみて、添付されていた文書に記さた「征韓論」批判に着目し、横山・森兄弟の生涯の事績と、同僚の先輩・西郷隆盛との交友を織り交ぜて、評伝ふうの小説にした」。

ピョートル前夜のロシア

2003 年 4 月 16 日 水曜日

エストニア国家の形成

2003 年 4 月 15 日 火曜日

『エストニア国家の形成』表紙\
書籍名   : エストニア国家の形成 小国の独立課程と国際関係
(エストニアコッカノケイセイ)
著者名   : 大中真(オオナカマコト) 著
発行日   : 2003-04-03
税込価格 : ¥3150
本体価格 : ¥3000
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★ユーラシア・ウォッチEurasia Watch(編集・発行:秋野豊ユーラシア基金 http://www.akinoyutaka.org)第18号 2003年4月15日

本書の隠れたテーマは民族自決権である。今日、バルト諸国の一つとして数えられているエストニアは、1918年に独立するまで国家としての経験を持つことはなかった。本書は20世紀初頭の国際政治、とりわけ英・米・ロといった大国による民族自決権の取り扱いと、国際政治のアクターとしての黎明期エストニア(と同国の外交官)の動向について分析する。ウィルソンやレーニンといった、当時の代表\\的「民族自決権」論者が、小民族の自治権を認めたとしても、その独立することを想定していなかった中で、エストニアはいかにして国家を形成することができたのか。パリ講和会議やソヴィエト政権との平和条約の締結をクライマックスとする過程を、本書は専門書ながら大変ドラマチックに描いている。
また、読者はほどなくして、小民族の自決権が現代の国際政治にも通じる問題であることを理解するであろう。国家を持たない民族が、現実の政治において自決権を認められないながらも、より有利な立場を獲得しようとする姿は、今日のクルド人やチェチェン人などを想起させる。民族自決権は現代国際政治のジレンマの要因の一つであり、著者はその起源がエストニアをはじめとする第一次世界大戦後の処理にあることを示唆している。     (湯浅 剛)

ポルトガル史

2003 年 4 月 11 日 金曜日

競輪選手への道

2003 年 4 月 11 日 金曜日

臨床文学論

2003 年 4 月 4 日 金曜日

『臨床文学論』表紙\
書籍名   : 臨床文学論 川端康成から吉本ばななまで
(リンショウブンガクロン)
著者名   : 近藤祐子(コンドウヒロコ) 著
発行日   : 2003-02-05
税込価格 : ¥2310
本体価格 : ¥2200
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★「読書人」4/4、中村三春
「病いとしての〈わたし〉〈わたし〉という病い「臨床と批評の出会う地平」と、帯には銘打たれている。川端、ばなな、春樹、山本昌代、尾崎翠らの小説に登場する〈わたし〉の様相を追究するために、木村敏、中井久夫、河合隼雄、市川浩らの、精神病理学や心理療法論などを援用し、臨床的であり、かつ文芸批評でもあろうとする緊張感溢れる論述が展開される。とはいえ、小説家の精神分析、もしくは病跡学などという陳腐な方向性を著者はとらない。「病いが描き出した人間像をモデルに思考を深めるということは、作者に病名を与え病理との因果関係において作品を解釈することでも、虚構の人物達に病名というレッテルを貼\り、病理の枠組みによって全てを説明しようとすることでもない。[…]病いとは、既成の目我の概念では説明できないテクストの〈わたし〉を、より柔軟に捉えてゆくための補助線であるべきではないか」とする言葉が、著者の立場をよく伝えている。あくまでも、自我分析、〈わたし〉論としてのみ、本書における「臨床」の標的は定められてゆく。と同時に、ばなな、山本、翠と、本書の申核を占める作家論は女性の書き手に捧げられ、川端、春樹に対しては批判的であることも見逃せない。…(本書は)一般論を超えて、「家族の解体」「共同性の喪失」以後の現代の若者が抱える心の病に対応しようとする、真摯なスタンスを示して心に迫る。

★朝日新聞 3/9、池上俊一評
「「臨床」が流行っている。古株の臨床心理学の傍らに、近年、臨床教育学と臨床哲学が芽生え、そして今、臨床文学の種が播かれた。病める現代日本において<わたし>が溶解してゆく危機の諸相を、ぎりぎりの言葉で表現する現代作家たち。彼らの特異な訴えに注意深く耳を傾け、「時代の病」へと開いてわたしたちに仲介する姿は、託宣をする巫女のようだ。身体で世界を分節する「身分け」と言葉で世界に文目をつける「言分け」、双方を視野に収めた鋭利で繊細な批評の言柴で、苦悩の現場と関係を結び、そこに深い意味を見出してゆく作法が、臨床の臨床たるゆえんだろう。
川端康成、尾崎翠、村上春樹、山本昌代、吉本ばなな、彼らは皆、身体と感覚をめぐる不思議で異様な語りが急所を縫いとる織り糸となる作品を書いている。対象の生命力を奪いとり物化する視線、<わたし>の匂いの世界への漏洩、カウンセリングの仮面の下での心病む人ヘの裏切り、なにげない家族の日常に横たわる世界全体から<わたし>を引き裂く溝、ふんだんな料理の脇を流れる死に近接した時間……。こうした<わたし>の病状の意味を、作品中の巧んだ語り口の仕掛けに探るべく、著者は、特徴的な言葉の用法、語りのねじれ、ひいては語り手の意識に着眼し、考察を重ねてゆく。たとえば吉本ばななの『キッチン』では、冒頭の「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う」の一文に拘泥するとともに、「ふと」「ふいに」「突然」という言葉の多用と移行を分析する。山本昌代の家族小説においては、登場人物たちを捉えては脅かす非人称の声を解釈のひとつの鍵とする、といった具合だ。
だが症候の分析といっても、帰着点があらかじめ決まっている不毛な精神分析批評とはまるきり違う。言葉の用法に徹底的にこだわりながらも、テクストの構造分析のような内在分析に終始することもない。自らの体験を通じて理論を咀嚼し、自前の方法で作品に係わっているからこそ、読者もスリリングな読みに誘い込まれるのだろう。臨床文学、大樹に育つのも遠い将来のことではあるまい」。

天平の母 天平の子

2003 年 4 月 3 日 木曜日